経済安全保障という「違和感」への答えは「大量虐殺」だった。
経済安全保障という言葉がメディアで取り上げられるようになったのは、2020年頃だと思う。日本の技術が他国に搾取されないようにという視点で議論されていたが、これにはもう一つ、経済的な交流・連携により、文字通り安全保障につながるという視点もある。
日本は戦後から今まで、安全保障に対して臭いモノには蓋的な状態になっている。
サンフランシスコ講和(平和)条約にて日本は主権を取り戻すことになるが、当時の世界情勢として、日本が再び安全保障を強化することに、多くの国々が否定的だった。
その為、日米安保・同盟を軸とすることで、ある意味では安全保障はアメリカ任せ、その代わり経済に特化する形の国づくりになる。
結果としてはそれが大成功で、日本は世界が驚くスピードで、戦後復興を果たし、欧米を飲み込む勢いで経済大国へと発展した。
そして、経済こそが国民を豊かにし国民を守る…経済安全保障という考えが「当たり前」になってしまい、本来の武力としての安全保障に関しては「国連憲章を尊重すれば日本に軍隊や自衛隊は不要」という国連憲章を尊重していない論理が、堂々とメディアでとりあげられることもあるほど、国民の意識は低いし、安全保障というだけで拒絶感を抱く国民も多くなってしまった。
これは北方領土問題も含めた日ソ・日ロ関係にも当てはまるのではと考える。
第二次安部政権から、「日ソ共同宣言(56年宣言)」が再び注目されることになったが、非常に「いびつ」なモノに思える。
要約すると…
・戦争の終了
・国交回復と大使館の相互設置
・抑留者の送還
・漁業条約の発行
・日本の国連加盟への支持
…本来、平和条約の前段階といえる「停戦合意・停戦協定」は、安全保障に関する項目がメインになる。ただこの宣言では「国連憲章を守ろうね」っていう程度で、日ソ間の具体的なモノがない一方、漁業条約のような経済の分野は一歩踏みこんでいる。
当時の日本としてはそれくらいしか外交カードがなかったと思うが…
その後、日本はアメリカ頼りの安全保障体制となり、ソ連は東西冷戦・代理戦争へと突入し、日ソ間で有効な具体的な安全保障体制がない状態で半世紀以上進むことになります。
ソ連崩壊前後・ロシア以降、日本は経済的なアプローチから、領土交渉、そして平和条約締結へ向けて再び歩み始め、第二次安倍政権においてそれをさらに加速させました。
日ロ首脳会談におけるロシア・プーチン大統領の言葉を改めて考察すると…
現在の日ロ関係は「異常」と指摘。
そして平和条約締結へ向けて「引き分け」と公言。
多くの日本国民は「引き分け」を「国益(経済的)をWin-Winにする」と解釈したと思う。
当時のメディアも、「引き分けとは」という解説で、2島返還、2+2または2+αと、北方領土を資産と解釈し、それを分ける、または分けることで発生した損失を共同経済活動や開発・投資・出資で補うという「経済的な視点」が多かった。
経済安全保障が当たり前の日本としては、「経済ならなんとかなる」という期待感を抱かせるには十分な成功体験をしてきた。
ただ前回の記事でも指摘した「日米同盟」「安全保障」というプーチン大統領の言葉は、極端にいえば、日本のメディアも国民も「スルー」したと言っていいほど話題にならなかった。
私自身も「珍しい発言だ」と「違和感」を感じた。
私はもちろん、国民の多くが、経済的な視点の先に返還・平和条約締結があると考えているのに、プーチン大統領は安全保障を語ったことへの考え方のズレである。
それ以来、様々な返還運動に携わってきたが、常に「違和感」を感じていた。
違和感の正体は何か…改めて日ソ共同宣言を読み直した。
そして「いびつさ」に気づく。
そもそも「宣言」で終わっているのは、「国境の取り決めがないこと」。もし国境の取り決めがあれば、「平和条約」と同じだ。同時に、国境を決めるというのは、国境付近で問題が起きた時、両国はどのように対処するのか…という「安全保障」に関する細かなルールを作ることでもある。
それを「国連憲章を尊重する」というのは、日本にとっては保障として十分だが、ソ連にとっては安全保障体制としては脆弱だと感じたのでは?
だから「異常」だとプーチン大統領は指摘したのだと。
なのでより確立された体制の「平和条約を締結しよう」ということだと解釈したが…
ウクライナ侵攻によって、その解釈が浅かったことを理解した。
そもそも国連憲章を尊重した上で、武力介入するのが、常任理事国であり、アメリカとソ連・ロシアの常套手段。
ロシアの立場で考えれば、アメリカを自国領域に近づけることになる日本との領土返還や平和条約は、国連憲章というどうにでもなる約束事だけじゃ「怖くてしかたがない」と、「ありえない」というのが本音だと考えるべき。
だからこそ「異常」なんですね。
いつでも北方領土・千島列島にアメリカが侵攻できる状態なのだから、ロシアにとっては「異常」なんです。
まとめると、ロシアは「日本は対アメリカの緩衝地帯にするための平和条約」を求めていた訳で、緩衝地帯になれるのであれば、領土交渉にも応じるということ。
ようは日本に「ウクライナ」や「ジョージア」、「ベラルーシ」になれと。
そして少しでもアメリカを引き込もうとするなら、国連憲章で認められた武力介入として日本に侵攻し、緩衝地帯を広げる。
その為なら、自国の兵や相手国の国民がいくら犠牲になろうが、戦争犯罪だと国際的に孤立しようが、数兆円、数十兆円規模の経済的損失を出そうが…とにかく「アメリカを遠ざけろ」なのがロシアだったのではと考える。
そんな経済安全保障って何?というロシアに対して、日本は70年ちかく経済安全保障を信じ、経済的なアプローチばかり議論していたことになる。
経済的なアプローチによって救われた人々は日本・ロシア両国にいるのは確かで、それによって親日家、親ロ家といわれる信頼・友好もできたことも事実だが、領土交渉、平和条約締結にどれだけ効果があったのか、ロシアの行動を見れば「効果はなかった」と言われてもしかたがない。
もし日本国民が、安全保障に対して「臭いモノには蓋を」ではなく、積極的に議論し、自国はもちろん他国に対しても適切に対応できていたなら、アプローチの方法は変わっていたと思うし、私自身もっと学んでいれば、違う運動をしていたかもしれない。
ただ、過去を振り返って問題点を指摘するだけでは意味はない。
ウクライナ侵攻によって安全保障に関心が高まっている今だからこそ、議論をはじめるきっかけになる。
そして、その議論をはじめるパイオニアは、北方領土返還要求運動を行っている団体であるべきだし、ロシアによる対アメリカ用緩衝地帯の第一候補である北海道の道民であるべきだと考える。
これまで返還要求運動として各団体が行ってきた運動は大きく4項目。
1)主権・領域・国民の歴史を通じた「啓発・学習」
2)元島民や隣接地域への「補償・補助」
3)人道的また文化的な「交流」
4)投資や出資、技術提供などの「経済」
そこに5)項目目として…
5)日ロ安全保障体制への「研究・対策」
5)項目目というより、1)~4)の前提として盛り込むべきだと。
そもそも安全保障という国の根幹の部分を理解していない交流なんてありえないし、保障が確立していない中で投資や出資なんてリスクがありすぎ。
これまでやってきたこと、これからやろうとしていることが無駄にならないようにするためにも、しっかりと相手を知ることが大事だし、安全保障に関しては自分たちのことも知る必要もある。
また北海道各市町村も、しっかりと向き合うべきだと思う。
ウクライナ侵攻が2月下旬…ちょうど市町村は議会会期中であり、多くの市町村の議会でロシアに対する非難決議や、ウクライナ支援に関する決議が採択されてもいたが…
一体どれだけの市町村の議員さんが、「ロシア侵攻に対する住民保護」に関する質問をしたのかな?と。
それこそ、「防空壕・シェルターになりえる公共施設の調査・整備」だったり、「占領時、非民主的な手続きで首長が選出されないようにするための条例」だったり…市町村単位でもできる安全保障体制というのもあるのかなと。
ただ運動団体も各市町村も「安全保障」を視点とした運動・活動は困難だと感じる。
それは行政・役所の職員の存在が大きいからだ。
多くの団体が元・現役所の職員が事務方を担い、運動推進に尽力されている。ただ安全保障は「外務省」「防衛省・自衛隊」の管轄で縦割り構造として、地方行政が立ち入りにくい分野でもある。議会で議員が質問しても、そもそも安全保障を担当する部署が、都道府県や市町村にはなく、防災の関係で少し絡む程度であり、有効な回答が得られるとも限らない。
運動の内容はもちろん、そのための新たな組織づくり、連携も今後重要なってくる。
数ある団体の中でも、「青年会議所」がパイオニアになれると思います。
元々、北方領土問題解決へ向けて運動をしているし、領土・領海、そして主権に関する運動もおこなってもいる。
国会・地方議員、中央・地方行政とも連携しており、独自の視点で運動を展開できる。そして各都道府県の運動団体に卒業生が参画もしている。
私自身卒業生であり、反省でもあるが、北方領土と安全保障をリンクした運動に関して、数多く提案・実施できなかったこと。
つい最近まで北方領土問題には「啓発・学習」「交流」「経済」が大事と思っていたし、安全保障となると憲法改正の議論が大事とも思っていた。
後輩たちに担いを押し付ける訳ではないが、ぜひ北方領土問題と安全保障をリンクするという視点をもっていただきたい。
ともあれ…
私自身、青年会議所を卒業し、啓発・学習に集中して運動を続けようと思ったが、今一度安全保障に関して学びなおしが必要だと感じている。
元島民3世(国後島) 髙橋友樹