まちがいさがし。(更新中)
改めまして
雙影のイドラ 第二回公演
「まちがいさがし。」
全公演終演しました。
ご来場いただきました皆さま、応援してくださった皆さま、想いを向けてくださった皆さま。
本当にありがとうございます。
私は小泉沙幸を通して死に向かった。
ポコチャ配信中に得心いく言葉をくれた方がいた。
『リ・バース』
私は毎回死んでいた。そして毎回生き直した。
すべては常に変容する。
最後にたどり着いた先は、みんなはもう此処に戻ってこなくていいんだよ。
其々が、其々の選択をして、生きていってほしかった。
そのためには此処はもう、いらない。
すべては常に変容する。
時代とともに必要なものも変わり、不必要なものは廃れ消え去る。
年齢とともに大切なものは変わり、不必要なモノは廃れ消え去る。
私は変わらない、変わりたくない、変われない。私が愛したものや時間は全て此処にあったから。
私は、私が善いなって思える人が、私を覚えてくれてたら、此処にいる意味になるのかなって。そう思ってる。
なんてことも言ってたっけ。遥香。
遥香に、誰よりも執着していたのは、沙幸なんじゃないかなって思ってる。
この土地を、人間を、神も事象もすべてに執着し愛していたんじゃないかなぁ。
そして沙幸が、誰よりも変わっていなかったんじゃないかとも。
誰よりも、ひたすらに変わり続けることを拒んでいたから変わっていった人たちからや信仰心を失った人たちからは沙幸が変わったように見えたのではないかなとも思っているんですよ、私は。
もちろん月日が経つにつれて沙幸自身の信仰心も深まっていったからこその差の広がりもあったろう。
全ては、すべてを底に沈めるために。
最期の逢瀬と蟠りを消すために。
沙幸は、所謂霊感的なものがあったんじゃないかなって思っていて。
見えないものが見えていたし聴こえていた。
15場、皆んなが子どもに戻ってこっくりさんをやる場面。
あそこで密かに沙幸と晴治で眼を合わせているのですが、沙幸にはあれが人ならざるものに視えていました。
神とか、霊とか、色んなもの。
動物的感覚が強いタイプって、自然に宿る力とか、そういうものを感じやすいんだと思っていて。
沙幸ちゃんはかなり猫リスペクトで性格も身体的要素も創り上げました。
自由奔放だったと思うんだ、周りからみたらね。
さて、ここからは一部のキャストにそれぞれ一部分しか話していない、話したこともない、誰も知らない、"私が生きたからこその沙幸"の話。
【小泉沙幸について】
物心ついた時には、両親はいなかった。
お母さんは私を産んで、すぐに亡くなったらしい。
お父さんは、どこか遠くに行っちゃったってずっと聞いていた。
母方のおじいちゃんとおばあちゃんと猫、そして私。
それなりに大きい古びた家屋。
今や少し栄えた場所に行けば敷き詰められているコンクリートやアスファルトなんて当然無い、砂利道獣道が当たり前の集落。
少し外を歩けば皆んな知り合いで家族みたいで。
何もないけれど、草のにおいとか満天の星空とか、夏には水で冷やした野菜をそのまま食べて、冬には囲炉裏を囲んで。
祖父母と毎日同じ時間に、神社に行く。
と、お散歩中のうちの猫も何故かいる。
おばあちゃんに聴く、この土地の神様のお話。
おじいちゃんに聴く、かつての日本の話。
"何か"に聴く、この土地のお話。
信仰心を捧げなさい。
信仰心を捧げなさい。
捧げなさい。
信仰心を捧げなさい。
そんな当たり前の生活。
狭い村、学校には年上も年下もいる。
あの事件が起きた年にいた人たち。
晴治、晶、史哉くん。
怜衣奈、早苗、偲。
芽衣奈、侑里。
統、涼子、五六くん、私、そして遥香。
授業を途中で抜け出して原っぱでゴロゴロしたり。
晶とお話ししたり。
怜衣奈と土地神について話したり、他のくだらない話もしたり。
下の子にちょっかい出したり晴治にちょっかいだしたり。
まぁなんだかんだで皆んな家族みたいなもので、居るのが当たり前の存在で。
あぁ、いつだったか。誰だったか。
遥香ちゃんのお父さんが、あなたのお父さんなのよ。なんて、余計なことを言ったやつが居たっけ。
狭い、古びた集落。
皆んな"家族"みたいなもの。
と、わかっていたって受け入れ難い事実は在るものだ。
受け入れられるはずが、なかった。
遥香のことは、嫌いじゃない。
だけど、あの子の善人ぶってるあの顔は嫌い。
知ってるのか知らないのか、むやみやたらに構ってくるのもうざったい。
それでも、半分でも、おんなじ血、流れてるんだねえ。
遥香とは、たまに二人で帰った。
というよりは遥香に連れ出されるかのように、手を引っ張られ無理やり二人で帰ることになる。
遥香は、二人の時、皆んなの前では見せない顔を見せる。
その時に吐いた言葉が、アレだ。
どこまで善人でいるのか。
どこまで。善人で。
此処に居なくていいよ、行きなよ。
自分の好きなところへ。
どこに行きたいの、何がしたいの、一緒に行こうよ。連れてってよ。
ひたすらに、安寧を求めていた。
私も、きっと遥香も。
17場(エンディング前のシーン)最後のこっくりさん。
遥香の手が、見えた。
遥香と一緒に、こっくりさんをやってたんだよね。
沙幸にとっての神さまは案外、遥香だったんじゃないかなぁ。
遥香が居なくなった。
学校で、そのことを聴いた私たちの中には泣き喚く人もいれば静かにただただ受け入れる人もいた。
不思議な空間、おかしい様子。
皆んなの前で、涙が出ることはなかった。
行方不明、周りの大人たちは口々に騙る。
大人の言葉は子どもの言葉になる。
警察もこの村に駐在している、この村の人間のようなもの。
祟りだなんだ、お稲荷さまの怒りだ、罰当たりなことをするからだなんだ。
私は、自分では決められない。
いつもそばにはこっくりさんが居た。
私を導くは、こっくりさん。
私の手を引くは……いつも、遥香だったなぁ。
私は、自分では決められない。
私は、一人では動けない。
あの皆んなの前で魅せる善人ぶった笑顔も。
二人だけの時に魅せる歪んだ笑顔も、「今日は沙幸と2人で帰る!」と引く手も。ない。
一人が好きなはずなのに、独りは嫌だ。
気付くと、遥香と2人でよく来た原っぱに、来ていた。
たくさんの事実が、事象が、全身を駆け巡る。
半分流れた血が、
此処を出なければいけない少し前に、おじいちゃんが死んだ。突然だった。
本当は此処に居たかったけど、周りの皆んなも栄えた街に消えていった。
ここを出る2日前に、猫が帰ってこなくなった。
おばあちゃんは此処を捨てる者たちへのお稲荷さまの怒りだ、と言っていた。
おばあちゃんと私の2人で暮らすには、環境的に難しい。
近所の人たちもいよいよ皆んな居なくなり、なんとかおばあちゃんを説得して街へ移ることにした。
都丸家が、もっともっと動いてくれれば。
柳田家が、もっともっと動いてくれれば。
遥香のことも此処のことも、結局自分じゃ何も出来ないくせに、人のせいにした。
いつもそばにはこっくりさんが居た。
私は、自分では決められない。
此処を出て数年後、おばあちゃんが亡くなった。
あの場所を出てから直ぐに具合が悪くなったおばあちゃんはずっと、お稲荷さまの祟りだと言っていた。
「沙幸は、絶対に忘れてはならないよ。」と常々言われ続けた。
忘れるわけがない。
信仰心を捧げなさい。
私を導くはこっくりさん。
そして、遥香の存在。
私は決めていた。
おばあちゃんを看取ったら、あの場所に戻ると。
私が生かす、私が見つける。
まずはーーー、猫を探しに行こう。
沙幸は、少しずつじわじわと、信仰心を強められていったのではないかと。
おばあちゃんはとても信心深い人で、常々この土地の神のことを話していた。
家の環境的に他の人たちよりも神様のことを信じていたろうし、私は、沙幸は自分で選択するのが怖い子だったんじゃないかなって思っています。
だからこそ、こっくりさんに対しての信仰度が他の人より高く例えそれが潜在意識や不覚筋動といわれるような科学的に証明できる事象であったとしても、何かが決めてくれているという安心感があったのではないかと。
そして本当にいよいよ一人になってしまった時に、あの土地に戻り、憑かれたのではないかと。
たにかわ的には、物語上の沙幸は、沙幸ではあるが半分何かに憑かれている状態(詳しくはシーン別に強さが違うと思っているのですが)なのではないかと思っています。
というのもね、最初は神LOVEだけでつくってた沙幸ちゃん。ぶっちゃけ人間どうでもいいし興味ないしの方向だったんですけど。
どう足掻いても考えれば考えるほど、読み込めば読み込むほど、皆んなのことも土地も全てにLOVEだったのではと想ってしまって。ってかなんなら遥香に特別な感情(恋愛とかでなく)抱いてたっしょ?!みたいな。
皆んなへの愛情としての突き放しもあるんですけど、非科学的なものも敢えて盛り込ませてもらいました。
自らの意思以外の働きもある。
こっくりさん関連の言葉は、沙幸自身の言葉だけではないと思って。
あぁ、あの、たにかわ個人の見解としては。
この土地の神社の祠にはもう神さまはいなくて、沙幸が戻った頃には、低級な霊や取り残された狐霊しかいなかったのではと思っているんですよね。
そして、その狐霊に取り憑かれたのではと。
案外、涼子の言葉は的を射た発言ではないかと思っている。
さて、招待状の正体が色々と考察されておりますが。
ここではあくまで当時のたにかわの見解として綴ってまいります。
まず、小泉沙幸が物語上で生きているか死んでいるか問題に関して。
たにかわ的には”小泉沙幸の時間軸では生きている”という感覚。
18場、大ラスのシーン。
みんなと沙幸が別の時間軸で存在しているシーン。
私的にはみんなの時間軸では沙幸は死んでおり、沙幸の時間軸では生きている。
ですが、あの後すぐに死にます。
というのもあの廃集落はダム建設地のため立ち入り禁止区域とされており、本来人がいてはいけない場所です。
そして沙幸が出した招待状に記載されていた日付は、ダム底に沈む前日。
それを知ってか知らぬか、みんなは来なかったのだと思う。
そしてあの”夢”を見たのは、前日~当日にかけてのこと。
私は、あくまで私は、遥香がみんなをゆめの中に集めたのではないかと思っている。
結局は沙幸も遥香に巻き込まれた、一人間でありたかった私自身の願いも込めて私の解釈をそうさせていただきました。
あの世代はどうにも遥香が中心に廻っていて、沙幸も半分おなじ血が流れていて。
切っても切り離せない、そんな関係。
これは沙幸の物語ではなくこっくりさんをテーマとした小川遥香の物語だ。
今回、誰が主演かと言ったら、お客さまの眼から見たら私かもしれないが、私はやはり話を進めるにあたっての主軸(というのも烏滸がましく気持ち的には進行役)なだけで主役でもなければ主演でもないな、と。
遥香を描くため、みんなが、あなたたちが、遥香を見つめるための存在が沙幸なのだと私は想う。
遥香を想う。
そしてその遥香と、愛した神と、愛した土地の水底に沈む。
半分分け合った血の運命とともに、此処の血脈を分け合ったすべての者たちの幸福を願う。
私は、私が善いなって思える人が、私を覚えてくれてたら、此処にいる意味になるのかなって。そう思ってる。
すべてを底に沈めるために。
みんながもう此処に戻ってこなくていいように。戻りたくなくなるように。
そして招待状。
晴治役の竹田さんが”沙幸のお葬式のお知らせ”だったのではないかと言っていました。
そんなんステキすぎて吐きそう。
まぁそれをたにかわが聞いたのは終演後なので私は普通に招待状は前述の日付が書かれた招待状だったというあれで作ってますが。
あぁでもそれを聴いた後、みんなとの差の違和感も得心はいったけど。
生きているけど死んでいるというかそんな感覚は常にあって、沙幸の時間軸と皆の時間軸がゆめの中でもずれていたなら…?なんて思ったり。
言ってしまえば、現実は大ラスの18場しかなくて。
ねぇ、もう一度起きるのだって、ゆめから覚めたわけじゃないかもしれないじゃない。
ゆめも何にもみてなくて目が覚めたら謎に机とかだけが動いていたら。
ふと、みんなの未来を想像して何かが見えていたとしたら。
それしかなかったら。最期、縋るものからの返答もないだなんて、って思ったりもする。
2022.09.29 更新
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?