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額縁幻想記 ② ハプスブルクの〈悲愴〉


ハプスブルクの〈悲愴〉


 前作「微笑みの額縁」のラスト近く、絵里香の哀しみの衝撃で鏡は砕け散ってしまいますが、あちらの世界、つまり鏡の向こうの50年前の若きシュテファンの世界でも、同様に鏡は割れておりました。

 続編に当たる「ハプスブルクの鏡」では、額縁がハプスブルク家由来の物であったという秘密が明かされることから、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を取り巻く悲劇的史実と関連する展開となってゆきます。

 皇帝自身の暗殺未遂事件、弟マクシミリアンの処刑、息子ルドルフの自殺、皇妃エリザベートの暗殺、皇位継承者であった甥フェルディナントの暗殺……。

 ところで皇妃エリザベートの名は、正しくは「エリーザベト」とした方が原語に近いのですが、我が国では「エリザベート」の表記が定着している為、本作では馴染みの表記としています。

 さあ、物語の方向性やポイントが定まって参りました。

 ・鏡がハイデンベルク家に来た経由
 ・ハプスブルク家にまつわる悲劇のエピソード
 ・前作から続くシュテファンの恋
 ・タイムトリップの鍵となる音楽

 あとは全貌を掴むだけ。ただ無心に物語の世界に想いを馳せれば良いのです。
 いつもは寝込みを決め込むところを、せっかくウィーンに居るのだからと、舞台に設定したシェーンブルン宮殿の広大な庭園を散策することに。

 そろそろ冬も終わりに近づき、そこかしこに春の兆しが訪れつつあるも、木立に緑はまだ芽生ええていない、人気も少ないうら淋しげな庭園をひたすら歩き回り、キャラクターたちの動向に注目し、彼らの会話に耳を傾けていると、自然と心に響いてきたのはピアノの音色。ベートーヴェン《悲愴》の、穏やかで美しい第2楽章でした。

 というわけで、今回はピアノの 安斎 航 さんに、《悲愴》第2楽章を用意して頂きました♪
 
 劇中では、ユイが自由に奏でる《悲愴》と、真夜中のシュテファンの調べ、そして鏡の向こう、未来からの導きの音楽として、計3回、この名曲が流れます。

  ぼくは静寂の世界に染み渡る
  自分の音に酔いしれながら、
  ろうそくの光に照らし出される
  ハプスブルクの鏡を、
  ひたすら見つめ続けた……

 安斎さんの演奏は、前作「微笑みの額縁」におけるシューマンの〈ミニヨン〉同様、やはりシュテファンが弾くタイミングに合わせて入っています。

 そして更に、元の時代へ戻る手がかりとなる救いの音楽としても、イメージして頂けますと幸いです。

  どこからか──

 本当に美しく崇高で、胸を打たれる、素晴らしい音楽の贈り物となりました♪

  その時、聞こえてきた。
  音楽が。ピアノの音。鏡の中から──

  絶望の中で見つけた答え。
  希望の道、希望の未来が!


シェーンブルン宮殿


ハプスブルクの霊廟と中央墓地の怪


 この執筆体験記より前に、初めてのヨーロッパ・ツアーで妹とウィーンを訪れた時のことでした。
 エリザベートの従甥でもあるバイエルン王ルートヴィヒ2世の三大名城が旅のハイライトで、リューデスハイムからシューマンの《ライン》の雄大なテーマに乗ってライン河下り♪、ロマンティック街道を経由して憧れのノイシュヴァンシュタイン城を含むルートヴィヒ2世の城を訪れてからオーストリアに入り、ザルツブルクや湖の美しいハルシュタットなどを巡ってウィーンに到着。

 妹と私はブダペストを訪れたく、その後ツアーを離脱する予定でしたので、皆と一緒の旅もいよいよ終わりに近づいたところで、カプツィーナ教会地下のハプスブルク家の霊廟が見学コースに入っておりました。

 400年も前に基盤が築かれ、ハプスブルク家由来の多くの棺が並ぶ中、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世を囲み、皇妃エリザベートと息子ルドルフの棺が安置されておりました。

 そこで現地のガイド氏が、皇太子ルドルフが心中したであろう詳細な様子を、拳銃を持つ動作と共に具体的に演じられ、何もそこまで説明しなくても……と、ぞっとするほど恐ろしい嫌悪感に襲われた瞬間、

── 息ができない ──。

 突然、呼吸が出来なくなったのです。

 このような場所で大騒ぎしてはいけないと、ツアーの一行に背を向け、片隅の壁に向かって喘いでいるうちに、ようやく息が吸えるようになりました。途端にとめともなく涙があふれて止まらなくなってしまいました。ただひたすら流れ落ちる涙。

 息子の死を知らされたエリザベートの計り知れない衝撃が、直に、否応なしに伝わってきたかのようでした。何故か父親の皇帝ではなく、母の想いのように感じました。
 実は前の晩、私自身が大変な目に合っており(とても語れる内容ではなく、意味深ですみませんが)、精神的に敏感になっていたのかも知れません。とにかく、こうした体験は、それっきりでした。

 断じて言いますが、自分は霊感といったものとは全く無縁で、たとえ霊に首を締められようとも気づかないタイプ。空中に漂う霊魂の存在といった概念も、そもそも信じておりません。

 ただ、大いなる宇宙の働きかけに導かれゆく、人と人との心のつながりや、成し遂げようとしていることを応援してくれたり、折に触れて重要なことを知らせてくれたり……、といったふしぎ現象は、いつも身近に感じてはいるのですが。
 
 そんな自分の体験は、決して恐ろしいものではありませんでしたが、ウィーンの中央墓地で恐怖の体験をされたという音楽家の話も紹介しておきましょう。
 額縁幻想記①で、忘れ物を届けた指揮者の青年から聞いた話です。

 かつて彼の音楽仲間が3人連れ立って音楽家の墓も多いウィーン中央墓地を詣でた際、そのうちの2人が突如、何やら異常に恐ろしい気分に襲われ、同行の1人と共に一目散に墓地から退散したのだとか。
 とにかく、できる限り遠くへ! とバスに飛び乗り、墓地からすっかり遠ざかった辺りで、ふっと気分が軽くなり、落ち着いたのだそう。
 連れの1人は始終、何も感じなかったそうですが、とりわけ芸術家には敏感な方も多いのでしょうか。


ベルヴェデーレの至宝


「ハプスブルクの鏡」の物語が、1本の映画のように明確に浮かび上がって来ましたので、次はひたすら文字にしてゆく作業です。

 現地の文具店で手に入れた、A5サイズのシンプルながらも趣のある、タイムトリップ物を描くには最適なレトロな懐中時計柄のノート。スワロフスキーのクリスタルが端に煌めく、宮殿や美術館のロゴ入り鉛筆に、趣のあるインク壺型の鉛筆削り。これらがあれば、いつでもどこでも書き綴ることができますね。

 雲ひとつない、暖かく、素晴らしいお天気に恵まれた日、ベルヴェデーレ宮殿を訪れました。

 ここは貴重な絵画の宝庫で、かの有名な「接吻」を初めとするクリムト作品の数々や、ダヴィッドの手によるナポレオンの巨大な名画もあり、あまりの迫力に圧倒され、時間の経つのも忘れるほど、いつまでもいつまでも魅了されておりました。たまたま周囲に見学者はおらず、永遠に時間が止まったかのような貴重なひとときでした。

 宮殿の庭園のベンチに腰を下ろし、上宮から下宮の方向へ流れゆく噴水の水音や、お昼寝から目覚めた小鳥たちの声を背景に、ハプスブルクの物語をノートにしたためます。まだ2月でしたのに、春が訪れたかのような暖かな陽射し、心地よいそよ風のおかげで、筆もかなり進ませることができました。

 帰り際に宮殿の売店を覗いてみますと、例のスワロフスキー付きの鉛筆も、ベルヴェデーレのロゴ入りであったので、お土産に入手。ベルヴェデーレ宮殿の壁紙と、2種類のクリムトの絵が、大きなラッピングペーパーになったセットが、在庫処分の激安で投げ売りされていて、喜びにわなわな震えながら、それでも理性で持ち帰りを考慮し、購入は3セットに抑えました。

 こうして宮殿の壁紙が、本作「ハプスブルクの鏡」の表紙に採用された次第です。

 

老舗カフェでの間抜けなお話


 一杯の珈琲で何時間も落ち着いて小説を書いていられ、多彩なケーキには濃厚生クリームもたっぷり添えられ、高い天井に、豪華なシャンデリア、落ち着いたピアノ演奏に、大理石のテーブル、深紅のソファ。ささやかに聞こえてくる周囲の会話は殆どがドイツ語で、言葉の分からない私にはBGM同様なので、気になることもありません。

 しかもモーツァルトがピアノを奏し、ベートーヴェンが足しげく通ったカフェだったりもするのです。現実世界に居ながらにして、もはや意識は時空を超越して遥かな時代へ。これで何か作品が生まれないわけがない、というものでしょう。

 とはいえ、カフェでは妙なヘマも色々やらかしましたが(笑)。

 モーツァルトが最後のピアノ協奏曲を初演した場所にある、ウィーン最古のカフェ「フラウエンフーバー」では、卵4個のオムレツに、ほうれん草やハム、トマトにチーズなど、具材を自由に選べるメニューがあります。
 卵4つは多すぎるので、2個にして欲しいとケルナー(ウェイター)さんに伝えるべく、卵はドイツ語で「アイ」だから、複数形でsをつければ良いんたっけ? と、適当に言った「ツヴァイ アイス」が全く通じず、英語で言い直したら分かってくれて、複数形はsではなく、rがついて「アイア」になるのだと思い出し、アイスクリームじゃないものねと、お互い大笑い。

 別のカフェ、美しい市庁舎を望む「ラントマン」では、好物のパプリカ風味ハンガリー風シチュー「グラーシュ」を頼もうとするも、全く通じず、定番メニューなのに? と不思議に思いながらメニューを指したら、やっと分かってもらえた瞬間のウェイターさんの「なーんだ!」という反応が、あまりに素直で、やはり2人で大笑い。イントネーションが違っただけで、本当に分からなかったようです。

 実に迷惑な客というのに、どちらのケルナーさんも決してイジワルで分からないフリをしたのではなさそうで、その後もにこやかに声をかけてくれたり、親切に接して下さいました。
 ドイツ語できないなら、せめて英語で言ってくれよ、という感じではなく、現地の言葉で一生懸命話そうとしているおバカさんの方が、哀れみと共に同情を得られるのかも知れませんね。

 先にお伝えした、ルートヴィヒ2世の城を巡る旅でも、ノイシュヴァンシュタイン城の売店で、たどたどしいドイツ語で買物をした際、店員さんが、「ドイツ語、話せるんだね!」と喜んで、2人がかりで色々サービスしてくれる様子を脇で見ていた妹が、自分は親切にしてもらえなかったのに! と、衝撃を受けていたことがありました。彼女は挨拶すらも英語のみで買物をしていたのでした。
 きっとこの時も、スラスラのドイツ語だったら、当然のごとく話せる人というわけで感動もなく、あまりに下手すぎたので、一生懸命度が伝わったのではないかと解釈しております。

 とはいえ、あちこちで迷惑人間にならないよう、通じる言葉を学ぶ努力もしたいとは思っておりますので、どうかお許しあれ。


 1杯の珈琲で何時間でも居られるカフェ。
 友人宅の輝くシャンデリアや、
 ゆらめくろうそくの炎の元。
 広大な宮殿の庭園に、
 時には抜けるような青空の下。
 素敵なノートと、クリスタルの煌めく鉛筆。

「ハプスブルクの鏡」は、これらの助けを借りて描きました。

 続編の「額縁幻想」も、またしかり。

 本編、及び執筆裏話、共に追って紹介します。どうぞお楽しみ頂けますように・。。・。゜・☆


Precious Planner
森川 由紀子




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