髙木凜々子&五十嵐薫子(7/15 in 京都)楽曲解説 ② ショパン、リスト、パガニーニ
髙木凜々子 Vn. & 五十嵐薫子 Pf.(7/15 京都)デュオ・リサイタル 前半プログラムの楽曲解説、ピアノ・ソロ4曲と、ヴァイオリン&ピアノ1曲です。
ショパン ワルツ 第6番 変ニ長調 Op.64-1〈小犬〉
病弱のショパン(1810~1849)を9年間に渡って献身的に支え、作曲の為に最適な環境を整え続けた作家のジョルジュ・サンド。
2人は充分な別れ話もせずに破局を迎えるが、それはショパンにとって、ひとえに死の宣告ともいえる残酷な展開となりゆくのだった。
サンドと別れてから亡くなる迄の2年間、ショパンは作曲のエネルギーを完全に失ってしまう。それほどまでに、彼女の貢献は大きかった。
通称〈小犬のワルツ〉は、ショパンとサンドが共に過ごした最後の夏に作曲された。
サンドが飼い始めた可愛らしい小犬が、自分の尻尾を追いかけて、くるくる回る姿から生まれた即興的な可憐なワルツ。
この小犬、ヴィルトゥオーゾばりに素早く駆け巡る為か、当初「リスト」と呼ばれたが、大作曲家を小バカにしたようなたとえがリストご本人にバレたら大変と判断したか、改め「マルキ」と名付けられた。尻尾を追うしぐさは、尾にノミが住み着いていたからでは? とも推測される。
様々な誤解や意見の相違から2人の関係が悪化してゆく緊張状態の中で、ひとときの微笑ましい慰めを与えてくれたことだろう。
中間部の甘美なメロディーは、小犬の屈託ない様子がもたらす究極の癒しも感じさせ、華麗な跳躍の装飾が加わって軽やかに発展していく様は、予測不能な小犬の動きのよう。
ショパンとサンドの長い生活のおしまいに、しかもサンドのリクエストによって生まれたこの名曲は、しかし皮肉にも、かつての恋人、デルフィナ・ポトツカ伯爵婦人に捧げられている。
長年サンドに依存しすぎていた己の優柔不断さと決別し、新たな人生に踏み切ろうとの願いを込めた、ショパンからかつての恋人へ向けた、大切な愛のメッセージだったのではなかろうか。
ショパン ノクターン Op.27-1 嬰ハ短調
静かで優しげな曲が多いショパンのノクターン全21曲中において、際立って哀しげな、陰りのあるトーンに包まれている。
祖国ポーランドを離れて5年あまり。亡命先のパリでの生活は安定するも、望郷の思いが益々募っていた頃に作曲された。
ゆったりした左手の、シンプルながらも広い音域に渡る6連符のアルペジオに重なり、深い物思いに沈みがちな夢想的な半音階的メロディーが、一音一音を確かめるように右手で語られていく。
抑えられていた感情は次第に高まり、ドラマティックな激情を見せる中間部の頂点では、ふと射し込んでくる陽光のごとく、故郷のマズルカのリズムが現れる。
つかの間の輝きは、重苦しい左手オクターヴの連打で容赦なく打ち消され、
「諦めよ、汝はもはや祖国には戻れないのだ」と、戒められているよう。
再び静かな哀しみの回想に戻るも、ほどなくして儚げな憧れが呼び覚まされるような、平穏な世界に導かれて曲を終える。
リストのトランスクリプション
フランツ・リスト(1811~1886)が開拓した、トランスクリプション(≒ 編曲、書き換え)という新たなジャンル。オーディオ機器は存在せず、オペラや交響曲、管弦楽曲といった大規模作品を聴けるのは劇場のみ、それも限られた者だけの特権であった時代において、ピアノ版への編曲のおかげで、多くの者が新たな名曲に触れる機会を得られるようになる。これは大変貴重で意義のある有難いことであったし、ピアノという楽器の無限ともいえる可能性を示したのだった。
優れた原曲に出会うごとに、リストは大いなる喜びと共に意欲をもって編曲に挑み、原曲本来の魅力を損なうどころか、原曲や作曲家に対する誠実な姿勢、細部に渡る丁寧な配慮、天才的な手腕にて更なる魅力を引き出し、新たな輝きを与えていった。
単に自身が名人芸をひけらかしたかったに過ぎない、などと理不尽な見方もされがちだが、リストが残した最上の、かつ膨大な数のトランスクリプション作品に触れれば、彼の行為が純粋に、素晴らしい名曲の数々を世に広めゆきたいという使命感や、音楽への深き愛情に基づくものであったことは一目瞭然であろう。
サロンや個人の家庭で楽しめたばかりでなく、例えば、批評家としても活躍していたシューマンは、ベルリオーズの《幻想交響曲》をリスト編曲によるピアノ版で把握することができ、有名な評論をもって世に紹介し、ベルリオーズの名を不動のものとする、そんな重要な役割も担っていた。
本公演では、原曲の歌曲を音楽の流れはそのままにピアノ・ソロ版にした作品と、オペラからの抜粋を自在に組み合わせ、華麗なヴィルトゥオーゾ作品に仕立てた作品、異なるタイプのアレンジを楽しめる。
リスト=シューベルト〈魔王〉
シューベルト(1797~1828)が18才の時、ゲーテの詩を読み上げるや、友人の前で一気に書き上げたリートの大傑作〈魔王〉。
原曲では、伴奏ピアノが叩きつける右手のオクターヴの3連音符によって始終繰り返される激しいリズムが疾走する馬を、左手のオクターヴで勢いよく上昇する様が、闇夜に吹きすさぶ激しい嵐を描写している。
歌い手は、怯える息子、不安にかられながらも息子を宥める父親、魔王の甘く、妖しげなささやき、そして淡々とした語り手と、声色を変えて4役を演じ分ける。
シューベルトを「劇的叙情家」と評価していたリストは、そうした各々の役割分担を1台のピアノのみで、見事なまでに描写する。そしてリストは、原曲の流れを変えない歌曲の場合は、ピアノ譜にも音符に正確に合わせた歌詞を記載していた。
こうした丁寧な姿勢からも、リストが一句一句、一音一音を大切に扱っていたことが明確に伝わってくる。
リスト=モーツァルト〈ドン・ジョヴァンニの回想〉
「ドン・ジョヴァンニ」とは、スペインの伝説のプレイボーイ、ドン・ファンのイタリア名で、彼を題材に、ヨーロッパ各地に様々な物語や舞台作品が生まれていた。
モーツァルト(1756~1791)によるオペラ、《ドン・ジョヴァンニ》では、数々の女性遍歴や悪事を重ねてきたドン・ジョヴァンニが訪れた地で騎士団長の娘を見初め、宵闇に紛れて彼女の部屋に忍び込んだ際、居合わせた父親を殺してしまうところから物語が動き出す。
リストによる「回想」では、第1部、殺された騎士団長の復讐を誓う歌、第2部、悪びれもしないドン・ジョヴァンニと純朴な村娘との軽やかなデュエット〈お手をどうぞ〉、第3部、再び騎士団長のテーマと、悔い改めないドン・ジョヴァンニによる〈シャンパンの歌〉などが複雑に絡み合っていく。
きらびやかな装飾、駆けめぐる音階、幅広い跳躍に、激しいオクターヴの連続といった超絶技巧が駆使された、難曲中の難曲でありながら、モーツァルトの原曲の魅力が余すとこなく引き出された、絢爛豪華なオペラ模様がエネルギー全開で繰り広げられる。
パガニーニ 〈カンタービレ〉 ニ長調
イタリア生まれのヴァイオリンの魔術師 パガニーニ(1782~1840)。
父親から手ほどきを受け、11才でデビュー。若くして超人的な技巧を身につけ、ヨーロッパ各地で多くの演奏会をこなす。有能な師にしてマネージャーでもあった父亡き後は、1人で演奏会を企画、運営し、会場の受付にて自ら客のチケット対応をし、時間となるやドアを閉め、そのまま舞台に立って演奏を始めたという。
本番前に楽屋や舞台袖で1人、これから奏でる音楽に集中しなければならないといった配慮など必要もなく、彼にとって、ヴァイオリンは身体の一部であり、人前であろうとなかろうと、演奏自体が呼吸のよう自然にこなせる、ということであった。
ロマン派音楽における名人芸的演奏の先駆者であり、秘術的、魔術的とも言われていた技法や派手な演奏効果、強烈な表現は、ヴァイオリン界だけでなく、リストやラフマニノフのピアノ音楽にも多大な影響を与えている。
「ヴァイオリンの名人芸を活かす曲が中々ないなら、自分で書くしかない」と開き直り、ヴァイオリンの為の曲を数多く残しているが、不思議なことに、ピアノ伴奏付きの曲は、この〈カンタービレ〉1曲のみ。
パガニーニの作品は、無伴奏の曲以外は、ギターによる伴奏が多く、この曲にもギター伴奏譜が残されているが、ピアノ伴奏の方が先となっている。特別な、個人的経緯により作曲されたようで、パガニーニ作品にありがちな技巧を際立たせる名人芸は、さりげなく控えめに抑えられている。
「カンタービレ」とは、滑らかに、自然でありながら表情豊かに歌うように、といった意味合いで、ゆったりしたテンポの中、ヴァイオリンは伸びやかに、たっぷり歌い、和音が主体のピアノ伴奏が、静かに優しく寄り添っていく。
始終穏やかな、愛にあふれた幸せな雰囲気に包まれた、いつまでも聴き続けていたい珠玉の小品。
【追記】公演は、素晴らしい舞台を持ちまして、無事に終了しております。
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