[漫画&ブログ] 闇子ちゃん 第28話 ~人権ちゃん~
今回の漫画は、以前にコメントでリクエストを頂いたテーマで描きました。私も描きたいと思っていたテーマなのでピッタリでした。他にもいくつかリクエストをもらっているので、今後も漫画にしていく予定です。他にもリクエストがありましたら、ぜひコメント欄で教えてくださいね。
「人権」と言うと、「人間が生まれながらに持つ他者や国家権力に侵されない諸権利」…とか難しい説明が出て来ます。よく分からないですよね。簡単に言えば「自分なりがOK」の状態の事です。例えば私がどこかの国に住んでかわいいスイーツショップのイケメン店員になりたいとします。でも面接で「日本人は目が細くてブサイクだから不採用です」と言われたら「人種差別だ!人権侵害だ!」となりますよね。「かわいいスイーツショップのイケメン店員になりたい」は「自分なり」ですが、そこにチャレンジする以前の段階で不採用、つまりOKじゃない、これが人権侵害です。普通に面接を受けた後、「この人はイケメンじゃないな~、不採用」だと、ちゃんと「自分なり」をチャレンジをOKさせてくれた上での不採用なので、人権侵害ではなく普通の事です。
日本はぐるぐるメガネの秀才くんみたいな国なので、マニュアルはきちんと守ります。つまり「こういうことをすると人権侵害だから気を付けようね」というマニュアルが提示されていると、それに真面目に従います。でも、そういうマニュアルの無い、フワっとした部分になると時々おかしくなります。下着の色まで指定される校則だったり、先輩が部室を使っている時は後輩は外で着替えなくてはいけない体育会ルールだったり、職場には10分前には着いていなくちゃいけない10分前行動ルールだったりです。どれも自分なりがコントロールされているのですが、当たり前に我々の社会に存在しています。
ただ、他者の人権を侵害する動きがあるのは自然な事だと私は思っています。なぜなら多くの生き物は他者を攻撃しながら生きているからです。金魚は水槽の中でけんかしますし、我々の祖先のサルもなわばりやエサの取り合いで争います。問題なのは、そこで自分の人権を守らないで「そんなもん」と受け入れてしまう事だと思うのです。
金魚Aが金魚Bにけんかを仕掛けた時、攻撃(人権侵害)を受け続けていたら金魚Bは死んでしまいますよね。なので反撃するか逃げるかします。サルも同様で、お互いなわばりやエサを取り合って攻撃&反撃し合うわけです。どちらも攻撃に対して自分なりの対処をします。しかし「そんなもん」の我々の社会はどうでしょうか?↑↑のような人権侵害を受けていても、自分なりの反撃や逃げる事はせず「世の中ってそんなもんだよね」と、受け入れてしまいますよね。これは体に毒です。なぜならネズミの実験で「動きを封じる」という人権侵害を受け入れ続けてしまうと、うつ病になってしまうくらいなのですから。
私は妻ちゃんと保護犬ボランティアもやっているのですが、悪徳ブリーダーの所にいて10年とかケージに入れっぱなしだった犬は、明らかにおかしい感じになっています。まったく動けなかったり、逆にずーっと同じ所をウロウロしていたり、人間で言ううつ病やその他の精神疾患の状態なんだと思います。やっぱり、どの生き物にとっても「自分なり」が封じられていると病んでしまうんですよね。
とは言え、日本はそういう自分なりが封じられている社会なのも事実です。学校で校則をやぶったら受験に不利になったり退学になってしまいます。会社でもルールに沿わないで自分なりで行くと出世できません。必要なルールは存在するべきですが、これ意味ないだろみたいなルールも多いですよね。つまりこれは、我々が自分の人権を守る意識が薄いと同時に、支配する側にも人権を守る意識が薄いという事だと私は考えます。そしてその理由は、そもそもの人権という考えが西洋の真似から始まっているからなんだと思います。真似だからマニュアルは守れます。でも真似だから本質を見落としているのです。
では人権という考えが生まれた西洋はどうでしょうか。私はフランス人の友達が一番多いので、彼らの話をします。まず、残業や休日出勤は基本的にありません。夏休みは有給とは別に1カ月くらいあります。これは他の国の友人たちもそうでした。ある友達は1年休職して日本に1年バカンス滞在していました。そして帰国後またその仕事に戻りました(日本だったらクビですよね)。別の友達はアスペルガー症候群を持っており、障害者手当をもらっているのですが、人生を変える!という事で去年末から日本に来て3か月ほど暮らしています。日本人で障害者でとなると、なかなかこういうタイプのバイタリティは出ませんよね。そもそも障害者は大人しくしてろ的な悲しい圧があります。ある女の子は「つきあいの長い私の彼氏には何でも話せる」と言っていました。日本人カップルでは、つきあいが長いと逆に話す内容を選ぶようになって、何でもかんでもは話さなくなりますよね。これら全てに共通するのは、人権、つまりは個人を大事にする考え方です。余裕を持って仕事をするという事は、労働者の人権、個人の生活が守られているという事です。ただこれは、個人を大事にしてくれる社会に自然になったというよりは、労働者がストライキを定期的に起こしているからなのです。つまり自分の人権を自分で守っているという事です。アスペルガーの友達も同様で、自分の人権を大事にし、自分も幸せになる権利があるという意識があるから、日本にやって来たわけです。何でも話せる関係というのも、お互いがお互いの人権(意見)を大事にしているからですよね。そんなふうに、彼らは日本とは自分個人に対する考えが根本から違います。自分の権利は自分で勝ち取るという、まさに革命が起きた国の人達らしい考え方なのです。ただその一方、治安は日本より悪いです。自分なりが多いという事ですからね。あとストライキが多いという事は、その仕事がストップしている事が多いという事でもあります。電車やバスはしょっちゅう停止しているようです。もちろん休日にはお店もあまりやっていません。つまり日本は個人の人権を犠牲にしているぶん、治安が良く便利な社会であるとも言えるのです。どっちも良い所取りはできないんですよね。なので日本人の我々は最終的に、この自分なりが封じられる社会に乗っかって、でもポイントポイントで自分なりを解放しながら生きるのがベストなんだと思います。
慢性的に自分なりが封じられやすい我々ですが、その中でも特に病的に自分なりを封じてしまう、自分の人権を捨ててでも支配を受け入れてしまう人たちもいます。例えばDVを受け入れてしまう人です。DVというと大げさに聞こえますが、ミニミニDV、特に精神的なものは結構多いと思います。例えば子供の前で日常的に夫婦喧嘩をするのは子供に対する精神的DV(精神的虐待でも良いです)と言えますし、イライラしている時に「アア!クソ!」とか大声を出して相手に言う事を聞かせるのも同じです。そこでクソじゃねーよ自分でやれよと言い返していれば、まあワイルドな人間関係だねのレベルですが、ビクビクなってしまって「あっクソとか言って怒ってる、ご機嫌を取るか大人しくいていなきゃ」となると、DVを受け入れてしまっています。一度や二度であれば人間に失敗はつきものだよねで済みますが、それが日常になっている関係だと、完全に精神的DVを受け入れ、自分の人権を捨てて、支配されてしまっている事になります。そういう関係は結構多いのではないでしょうか。亭主関白なんて言葉もありましたし、もちろん男女逆でも全然あると思います。DVでなくても、部活の先輩や会社のルール、社会からの圧など、それらが自分の人権を侵害する内容であっても、心身の病気になって中には死んでしまうまで受け入れ続けてしまう人も多いです。私もそうですよね。働きすぎてうつ病になってしまったなんてまさにそれです。これを読んでいるあなたには、思い当たる部分はあるでしょうか。
日本は「他人に迷惑をかけてはいけない」を最も強く教育されます。なので「自分なり=他人に迷惑をかける=良くない事」という意識が強いです。また、近代革命が無かった事で、支配者に従う意識も強く残っています。私みたいな不良で元々ルールから外れていた人間ですらうつになるまで働いてしまったので、その意識はすごく根強いんだと思います。なので、日本にいながらその意識から抜けようとするのは、ちょっと現実的ではないですよね。なのでぜひせめて、自分個人の事に関しては自分なり全開でいきましょう。私の場合は漫画がもちろん最大のそれです。他にも私は意味もなく田舎に行くのが好きなんです。観光地の田舎ではなくて、何もない所に行くのです。そこ出身の人に「こないだ〇〇に行きましたよ」と言うと「えっあんなとこ何しに?」とよく言われます。でも私は「何もない=他人の意思が入っていない」なので好きなんです。観光地もインスタ映えする場所も、他人の意思が関わっていますよね。他人がお金儲けのために作った観光地、他人に見せる前提のインスタ映えなのですから。以前のアダルトチルドレンの回でも描いたように、他人を気にしすぎる事が心が病む原因です。他人を気にした時点で自分なり度は減ってしまうのです。
私が家事が好きなのもそうだと思います。自分が「ここ汚れてるな」と思うから掃除する、「冷蔵庫にこれが残ってるから今日の夕ご飯はあれにしよう」とかそういう事です。他人に言われてやっていたらイヤになっちゃいますよね。あと極端な話、個人的には「スピード出してスカっとしたいな」と思うから高速道路で200キロでかっとばすのも別に良いんじゃないかと思っています。地球レベルで言ったらそっち系の人のほうが多数派です。多数派ということは生き物的にはそっちのほうが快適という事です。でもただ、現代の日本はルールを守りましょうの意識がぐんぐん上がっているので、あまりやらないほうが良いですし、何より事故を起こしたら、イコール他人の人権を侵害するという事なので本末転倒です。何にしても、そういうふうに我々は自分なりが封じられやすい環境で、そのレベルは年々上がっています。私がまだ若かった20年前とはまるで変わりました。不良学生だった30年前とはもっともっと変わりました。でも人間は今も昔も一緒です。つまりそれだけ慢性的な負荷が増えたという事です。だから心の病気の人が増えてしまったのです。なので意識して、自分なりを解放して自分を大事にしていきましょうね。
最後に、「自分なり」は大体変な行動になります。私の意味の無い田舎に行く事も、200キロでかっとばす人も、変な行動です。でもそれが人間です。みんなそれぞれ違うんだから、それぞれの「自分なり」はオリジナル性が高いのです。そしてオリジナル性が高い事は変な事なのです。髪型も、オリジナル性の高い、例えば1メートルのモヒカンは変ですよね。でも私は、そういう変さがすごく愛おしいです。ぐるぐるメガネの秀才くんでいるより、全然素敵だと思いますし、そういう人のほうが自分を好きでいれて、解放できているぶん他者の変さにも寛容になれるのではないでしょうか。そういう意識と連鎖がこの社会に浸透すれば、もう少し生きやすくなるのではないかと思います。最後まで読んでくれてありがとうございました。
[おまけ]
自分なりが封じられやすい日本で、それが良い方向に行った最大のものがサブカルチャーだと思っています。漫画、音楽(特にロックミュージック)、アニメなどです。多くの作品は、始まりはネガティブな感情です。エヴァンゲリオンも進撃の巨人も君の名はも、作者自身のどよんとしたフラストレーションを元に作品が作られています。宮崎駿もスーパーMAXオタクで、ナウシカが後半で体液を流しっぱなしの王蟲(変な大きめのイモムシみたいな存在)をギュっと抱きしめてあげるシーンは、我々キモオタクがカワイ子ちゃんに受け入れられておりますぞーという願望を表したものだといいます。XJAPANの歌詞の多くはYOSHIKIがお父さんが死んでしまった自分のメンタル状態についてですし、そもそも80年代からのバンドブームの源流が、パンクやメタルなどの反骨ジャンルから来ています。ロックは世界中でオワコンですが、日本は今でもパンクスプリングやその他ロックフェスが人気ですもんね。漫画もロックも日本が日本であり続ける限りは、廃れる事は無いと思っています。私は最近、今さらながら筋肉少女帯を聴き直しています。本当に面白いです。