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[漫画&ブログ] 闇子ちゃん 第29話 ~逆転ちゃん~

今回の漫画は、以前に描いたアダルトチルドレンちゃんの発展バージョンです。

この漫画内で、アダルトチルドレンの事を「アダルト(大人)でいなくてはいけなかったチルドレン(子供)」というふうに言い換えました。親子逆転していたために、子供なのに家庭内で大人でいなくてはいけなかったという事です。肉体的虐待よりも気づかれづらい心理的虐待ですし、しかも「しっかりしてて良い子ね~」とか言われたりしてさらに気づかれづらいです。むしろ自分でも「私はしっかりしてて良い子だ」と解釈して、自分でも気づかない事が多いような気がします。

人に優しくするためには、強さが必要です。なぜなら優しさとは、自分の持っているお菓子をはらぺこの人にあげる事だからです。自分もはらぺこだったら、あげないorあげることがすごくストレスになる、となってしまいますよね。自分自身は満腹である必要があるのです。そして子供は常にはらぺこの生き物です。おそらくはらぺこな人にとって、そういう生き物に毎日自分のお菓子をあげるのは苦痛なのでしょう。むしろ、「私のほうがはらぺこなんだ!お菓子をよこせ!」となってしまうのです。それが親子逆転です。私はメンタルヘルスの勉強用に加藤諦三という心理学者の本をよく読んでいました。その本の中の一つに、「自分の稼いだお金を子供に使われるのが嫌でたまらない親が大勢いる」的な文章がありました。お金はおそらく比喩的な表現で、「自分の人生が子供に搾取されている」と感じ、それが嫌でたまらない親がいるということです。これも親子逆転の本質にある事だと思います。確かに子育てって搾取され要素がありますよね。赤ちゃんのうちは夜泣きで起こされますし、急に熱を出したり、知恵がついてくればイタズラや生意気な事を言うようになったりして、親の人生はそれなりに削られます。でもそれが子供が心理的に健康に育つための「子供時代をエンジョイする」事ですし、それを「子供だから仕方ない」と思えるか、同じ土俵に立ってしまい本気でむかつくかという事なんだと思います。親も人間なのでたまにはそういう事もあると思います。でもそれが日常化すると、子供の心を蝕むのです。そういう親子逆転が日常になると、こういう傾向が表れます。

これらはアダルトチルドレンの6つのタイプをシンプルにしたものです。6つのタイプとは、
①ヒーロー(努力&成功して親を満足させるタイプ)
②ケアテイカー(献身(世話)して親を満足させるタイプ)
③イネイブラー(献身(慰め)して親を満足させるタイプ)
④スケープゴート(逆に悪者になることで、親のうっぷん晴らし役になるタイプ)
⑤ピエロ(おどける事によって家族の崩壊を防ぐタイプ)
⑥ロスト・ワン(存在を消すタイプ)
…です。これの①~③を完璧主義型としてまとめました。過剰に善人であったり優秀であろうとするタイプです。⑥のロスト・ワンは親子逆転においては許されない(世話をしなきゃいけないから)ので、ここでは除外しました。これらの多くは、一見ポジティブな見方をされてしまうので、気づかれづらいです。善人や優秀な人、おどけ役はポジティブな見方をされ、実は闇を抱えてたなんてなかなか気づいてもらえませんよね。何ならそれを気づかれないようにさらに優秀であったりおもしろ人間になろうとすらしちゃうことも多いです。そして非行に走る人はただただ非難されるだけです。すごく悲しい事だと思いませんか?私の友達でも、不良というより明らかに非行で、みんなからも引かれていて、でも実は家庭がぐちゃぐちゃだった、という人がいます。妻ちゃんは完全なるピエロ型で、どんなに体調がつらくても、その体調不良すらネタにし、母親は爆笑します。完璧主義型の要素も持っています。これを読んでくれている人の中にも、あてはまる人がいるのではないでしょうか。

これらのタイプの最大の悲劇は、「自分が本当はどうしたいのかがわからない」事です。親子逆転とは親の顔色をうかがいながら生き、自分の意思で動けない事が日常だったという事です。自分が後回しになってしまいますよね。そして後回しにしすぎて自分がどこかへ消えてしまうのです。でもこの要素って多くの日本人がうす~く持っているとも思います。我々は他者に気を使う事が求められる社会に生きています。空気を読む文化です。すると慢性的に自分をおさえるくせがつきます。そのため、自分の「こうしたい」を一瞬自分でストップするくせがつき、いつのまにか「こうしたい」が薄くなってしまう。なんだかもういいや、めんどくさいし、となってしまう。そういう経験は誰にでもあると思います。そう振り返ってみると、親子関係の逆転で生きて来たアダルトチルドレンの人に対して、共感ができるのではないでしょうか。

https://note.com/yuki1192/n/na341b814ea31?magazine_key=m83ac0d58f5d0

また、親子逆転が起きる際、親は逆転させる子を選びます。自分の親役になってくれる子供を選ぶのです。狙われるのは共感力が高く気の優しい子です。そしてそれは兄弟姉妹間に差が発生する、につながります。アダルトチルドレン家庭の典型です。愛玩子と搾取子という言葉があります。例えば、気の優しい妹とぼんくらな兄がいたとします。この場合、病んだ親は妹のほうを親役(搾取子)としてワガママをぶつけ、兄のほうはかわいがります(愛玩子)。兄妹間で差ができますよね。親が兄と一緒になって妹をいじめるというパターンもあります。その場合、兄は心も人生も順調に進み、妹は病気になったりします。一応この兄妹は身近な妻ちゃんの家庭を例に出しましたが、似たような話は周りでもよく聞きましたし、WEB上のブログでもよく目にします。

https://note.com/yuki1192/n/n75c82f89e0f1?magazine_key=m5c1ceb5a8550

親子逆転の例に戻って、「同じ土俵に立ってしまう」に関して、母と娘の関係で、母が娘を子供ではなく女として見るという状態があります。例えばメイクをする年齢になるとそれをバカにしだしたり、お父さん(夫)の悪口を吹き込むような事です。生々しい女同士の話をしたり、ライバル意識が芽生える事もあります。同じクラスメイトみたいな関係になるわけです。2000年代初めに「友達親子」という言葉が流行りましたが、そういった要素を内包していた事も多かったのかもしれません。母と息子であれば「私の小さな彼ピッピ」的な子育てブログもよくありましたし、性別関係なく「巨人の星」みたいに自分の夢を子供に押し付けるなんてパターンも多かったと思います。2000年前後の漫画やアニメ、ドラマでも、親があまり親らしくなく、子供のほうが大人びているという設定がよく見られました。個人的には、幽遊白書の主人公親子が友達親子っぽくて、子供の頃の自分はちょっと「ウッ…」と思いました。やっぱり親に「性」を感じるのって子供的に抵抗があるんですよね。

https://www.s-manga.net/items/contents.html?isbn=4-08-871273-0

でもこういうのって、社会が発展したからだとも思うんです。社会が発展して自然から遠ざかれば生き物の本能は失われますし、変な話子供でも大人になれるんです。料理が出来なくてもお惣菜が売ってますし、学校に行っていなくてもSNSで友達も作れます。極端な話、ずっと子供でいたいバブー!のノリで始めたYoutubeが大ヒットして100億円手に入れば、マッチングアプリで結婚して親にもなれるのです。また、社会の発展は不安もあおります。発展する事で「できる」が増え、「できない」に敏感になるからです。バスが時間通り来るように社会が発展したから、それが10分遅れただけでイライラが発生するような事です。そして現代はそういう不安感を増幅させる商売が多いです。除菌とかシミシワとかあなたの〇〇は間違っているという見出しとかです。親子逆転をする親は不安感も強いです。以前の漫画では「チキン性」とも描きました。これも社会が発展した事による自然な生き物としてのエラーだと思います。

https://note.com/yuki1192/n/nb5987d4acdbb?magazine_key=m83ac0d58f5d0

また、単純に核家族&共働きが増えた事で、親の負担が増えて疲れて子供化というのもあると思います。そもそも人間も猿も子供は群れで育てるものでした。社会の発展に伴う構造の変化によるものですね。

https://note.com/yuki1192/n/nb81011eb0022?magazine_key=m83ac0d58f5d0

一方、社会の発展とは本来、弱い個体が弱いままでも生きられる事だと私は思っています。医療が発展したから病気やケガをしてしまう弱い個体でも生き延びられるようになりましたし、税金や年金という相互扶助システムが発展したから障害のある人でも障害者年金や生活保護で生きられるようになりました。素晴らしい事ですよね。でも同時に、その社会の発展のせいで子供という一番弱い存在が痛い目を見るエラーも起きるようになっていたとしたらとても悲しいことです。

私は現代社会に比べ、地域も家庭もいい加減な環境だったので、子供時代をエンジョイして過ごせました。本当に感謝しています。なので人にお菓子をあげる事も特に嫌に思いません。私はnoteとPixiv、Twitterに漫画を載せていて、闇子ちゃんシリーズはPixivで最もコメントもDMも多く受け取ります。なのでよくメッセージをくれる人(もちろんnoteやTwitterでメッセージやフォローをくれる人も)、そういう人達を想像しながら描いています。他の漫画よりも、読んでくれる人のために描いている意識が強いです。最初は妻ちゃんとの関わりの中で勉強した事を描くという内向きの意識でしたが、それがだんだん変わってきました。そういう変化も、「お菓子をあげる」の一種なのかもしれません。おじさんになっても日々変化していきますね。

最後に、自分から進んでお菓子をあげる事は、「搾取された!」とはなりません。つまり、自分で心から親の世話をしたいと思う事は、親子逆転ではなく、シンプルに優しさだという事です。親以外の他人に対しても同じです。そう思えるようになるのって人生ゲームでいう一つの「上がり」の状態だと思います。私もそういう自分を作ってくれたこれまでに感謝しつつ、残りの人生はできるだけお菓子を配っていきたいな~と思っています。

[おまけ]
ブログ中にちらっと書いた「巨人の星」という作品、ご存じでしょうか?超スパルタ父ちゃん(星一徹)が子供(星飛雄馬)を巨人軍に入れるためにスーパー虐待特訓をする漫画です。昭和の時代に大ヒットしました。

https://kc.kodansha.co.jp/title?code=1000000082

先日Wikipediaで巨人の星のページを見ていたら、父ちゃんにまつわるいろいろが今の毒親本に載っているような事まんまでビックリしました。あの時代はまだそういう研究ってされていなかったと思うので、原作者は肌感で分かっていたんでしょうね。おまけで紹介します。

[星一徹(父ちゃん)]
★子供時代
・子供の頃から野球が好きだけど貧乏であまりできない
・親が暴力的
・親に野球道具を燃やされる

★成人後
・念願の巨人に入る
・でも戦争が始まったうえに、戦場でケガをして野球ができなくなる
・お酒に依存するようになる

★星飛雄馬(子供)が生まれてから
・自分のかわりに息子を野球選手にするために虐待みたいな特訓を行う

★星飛雄馬が巨人に入った後
・自分は別の球団のコーチになって、星飛雄馬のライバルを育成する(疑似的に親子対決をする)
・星飛雄馬の背番号が16、コーチをやっていた自分の背番号が84で、親子合わせて100点みたいな意味にする

毒親もまた毒親育ちである事、果たせなかった目標があって、その未練を子供に押し付ける事、自分の人生の欠落を埋めるために子供を利用する事、子供にライバル意識を持つ事などは毒親の典型パターンです。あとアダルトチルドレンとは元々はアルコール依存の親のもとで育った子供の事です。ひょっとしたら、この星一徹像が日本の戦中戦後の典型的な父親像で、今言う毒親というのは、その影響の残りなのかもしれません。星一徹がアルコールに依存するようになったのは戦争が原因にありますし、そういう意味では戦後は今も続いているのでしょうね。

ただ、毒親という言葉の元になった書籍は米国のものなので、社会が発展すると似たようなエラーが起きる、実は人間の心理は複雑なようでシンプルだったりするのかもしれません。「実はシンプル」という部分に、こういう問題を解決する手がかりがあるような気もします。漫画って物事をシンプルにまとめる手段でもありますしね。次回の闇子ちゃんもぜひ楽しみにしていてください。

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