[漫画&ブログ] 杉村くん 第19話 ~白丸さん~
私は1977年(昭和52年)生まれで、「杉村くん」は私の中学生時代、主に1990年~1993年を舞台にしています。この時代、私の住んでいた地域ではまだ、「おたく」という言葉や存在は一般的ではありませんでした。というのも、今は「おたくと言えばアニメ」のように、みんなに共通のイメージがありますが、この時代の多くのアニメはあまりおたく感が無く、例えばドラえもんやちびまる子ちゃんのような子供向けアニメ、ジャンプや少女漫画のアニメ版、あとは美味しんぼとかの大人向け漫画のアニメ版がメインだったのです。これらを一生懸命観ていても、そんなにおたく感はありませんよね。
もちろん、今でいう深夜アニメのような、おたく感のあるアニメも存在しました。でもそれらはOVAと呼ばれるビデオ販売作品が中心で、普通の人はその存在すら知らなかったのです。
この漫画では、その2種類の中間の、TVで放映されているけどおたく感のあるアニメを登場させました。ドラゴンボールや美味しんぼのようなみんなが知っているアニメとは明らかに違い、しかもTVで放送されているので目に入ることもあるアニメです。私の世代はこのあたりでおたくに目覚めた人が多いと思います。私ももし何かのきっかけでそういうアニメを観るようになっていたら、おたく化していたと思います。
というのも、おたくと不良って実は共通点が多いんです。一番大きなものは、どちらも「みんな」からはぐれてしまった人たちという部分です。おたくの人たちが他者とのコミュニケーションが苦手で、クラスで浮いてしまっている姿はイメージができると思います。今でいう発達障害を抱えていたパターンもあるでしょうし、家庭環境が悪くて部屋にこもってゲームやアニメで逃避していたパターンもあると思います。不良も実は全く一緒で、今思えば発達障害だったであろう友達もいましたし、家庭環境はだいたいみんな悪かったです。同じ不良グループにいるけど、ずっとだまってて全然口を開かない人などもいました。なので、本人に何か抱えているものがあって「みんな」の側に行けず、その成長過程でたまたまおたく的なものにひっかかるか不良的なものにひっかかるかという違いなだけなのです。
現代でもその傾向はあって、今の不良にはブレイキングダウンに出てそうな武闘派と、トー横キッズのような病んでる系とがあると思うのですが、病んでる系の不良っておたく的要素が好きですよね。確か「ケーキの切れない非行少年たち」か、岡田尊司先生の愛着障害についての本だったと思うのですが、非行少年が「バイク系」と「アニメ系」というふうに分類分けがされていたので、私の感じた共通点はそんなに間違っていないと思います。不良&おたくどちらの世界も、極端に言えば社会的に弱い個体の受け皿という機能があるんです。
私が不良&おたくの共通点に気づいたのは、大学で漫画研究会に入った時の事でした。漫画研究会の人たちはみんなどこかアウトサイダー感があって、テニスサークルや軽音楽部の友達とは明らかに違っていたんですよね。エネルギーが外へ向かうのではなく内へ向かう感じです。その大学は偏差値も高くて、オシャレなイメージもあって、端的に言えば「モテる」大学でしたが、彼らはそういう世界とは別の場所で生きている感じがありました。それって私の地元の友達の、若くて体力も時間も可能性もあるのに地元のびっくりドンキーで昔からの友達とぐだぐだやっているほうが楽しい感じにすごく似ていたのです。その本質には、外の世界が怖いから安全な仲間内にとどまる、という共通点があったと思います。漫画研究会の人たちも、そこ以外に大学の友達がいないという人が多かったです。そして実際私も、地元を出て都会に引っ越したら今のように不眠症になってしまったわけです。外に出ず地元のマイルドヤンキー内にとどまるべきだった個体なんですよね。何より不良グループとおたくサークル両方にすんなり入っていたというのも、両方に共通点があった証拠だと思っています。
白丸さんの話に戻って、この漫画を描いていて気づいた事がもう一つありました。おたくには、「知識がおたく」と「ライフスタイルがおたく」の二種類あるんです。私は知識的にはそれなりにおたくで、いろいろおたく文化に関しては知っているほうです。…が、ライフスタイルはおたくではなかったんですよね。生活様式におたく文化がそれほど食い込む事はなく、おたく文化はおやつ的に好きで、主食はやっぱり現実の人間関係だったんです。でも、白丸さん(のモデルになった人)はライフスタイルがおたくだったんです。多くのクラスメイトのように派閥やグループに属さず、自分は自分で過ごすという。私の場合は小さい頃の孤立経験から、もう二度と孤立しないようにと人間関係メインのライフスタイルになったわけです。それは個体としては弱いですよね。白丸さんは孤立してもおたく的世界を優先させていたわけです。強いです。そして漫画家になれる人、その他多くのクリエイターも、本質的にはそっち側なんだと思うんです。孤立するという意味ではなくて、創作を生業にできる人は、創作活動が現実を越えているんだと思います。我々は現実に生きているので現実の世界が軸になりますが、そっち側の人は創作のほうが軸なのではないでしょうか。一つ例を出すと、私は漫画で全然デビューできなくて悩んでいた頃、美少女漫画の絵柄を練習して、それで持ち込みをしていた時期がありました。何年かやってみましたが結局デビューはできませんでした。おたく系アニメはたくさん観て研究して、絵的にも可愛く描けて、担当編集者の評価もまずまずなのに、何がダメなんだろうか、連載作品と何が違うんだろうかと全くわかりませんでした。おたく系の漫画家はスカウトなどで、下積み無しですぐにデビューする人も多いのに、何年やってもダメな自分は何なんだとウンウンうなっていました。答えはそれまでのライフスタイルがおたくじゃなかったからなんです。おたく系漫画の読者はそういうのが心底好きな人たちです。作者もそうだと思います。ライフスタイルにおたくが食い込んでいる人たちです。白丸さんのような人たちです。そういう人たちから見れば、心底それが好きで描いた漫画と、そうでない漫画はすぐ見分けがつきますよね。いくら後から深夜アニメをたくさん観て研究しても、後付けでしかないのです。「自然にクリエイターになる人」と「クリエイターを目指してしまう人」の大きな違いはそこだと思います。これはあなたの好きなジャンルの何かにあてはめるとすぐわかると思います。猫ちゃんが心底好きな人の「わ~この猫ちゃんかわいい~」と、猫ちゃん好きということにしておけば印象良くなるかなと思っている人の「わ~この猫ちゃんかわいい~」は絶対違いますもんね。
さてそして現在の私ですが、↑↑でも書いたように慣れない都会暮らしで不眠症になってしまったので、毎日がとてもつらいです。そしてそのつらさを分析して回復の糸口を探ったり、単純にメンタルの安定のために漫画を描いています。そうです、つらい現実よりも創作が軸になっているんです。だから今、多くの人に読んでもらえているんだと思うんです。メンタルに関する漫画も、そういう系統が流行ってるから描いてるわけじゃないのは、読んですぐわかるんだと思うんです。noteでは何年も前から、漫画を更新するたびに毎回読んでいいねを押してくれる人、結構いますよね。ありがとうございます。Pixivではいつのまにか閲覧数が300万人を超えていました。とても嬉しいです。そして先日ひさびさに持ち込みを再開したら、今までにない良い評価をもらえました。47歳にしてやっとデビューできそうな感じです(現在は掲載までの順番待ちです)。そうなれた理由全てが、白丸さんで言えばライフスタイルがおたく化した事、つまり現実より創作が軸になった表れなんだと思います。
もう20年早くこの状態になっていたら、また違った人生になっていたのかな…と思う事もあります。でもそれもどうでもいいくらい、毎日漫画を描くのが楽しいです。今みたいな漫画はデビューを目標に描いているわけではない、というのはずっと変わりません。デビューは現実ですからね。もちろんデビュー出来たらとても嬉しいですが、それよりも私にとっては創作自体への意味と軸の方が大きいです。もしかしたら白丸さんのモデルになった人も、今もそういうライフスタイルを送っているのかもしれません。
最後に、今回のエピソードは、あるフォロワーの方とTwitterでDMのやりとりをしている中で思い付きました。彼女も学生の頃から漫画を描いていて、クラスでそれをからかわれてもちゃんと反撃をして、「あまりいじりすぎると怒られる」という立ち位置を保ったそうです。超クールですよね。最高です。そして彼女の「一人でも十分楽しかったから」という言葉への率直な気持ちが、この最後のコマです。当時の白丸さんと重なりました。
気高さって現代では特に大事だと思うんです。現代はネットがあるから、すぐ他人と比べがちですよね。また、有名な人やフォロワーが多い人の発言を正しいと思い、その影響も受けやすいです。インフルエンサーという言葉は、インフルエンス(影響)という言葉から来ていますしね。簡単に言えば現代は、他人の「すごい」に敏感な世の中になりました。でも私は、真にすごいと感じるべき相手って各自それぞれだと思うんです。それは傲慢になれという意味ではありません。自分への敬意という意味です。イコール気高さという事です。すごい事をしたからすごいのではなく、自分自身の存在に価値を感じるという事です。現代は「すごい」=「お金とかステータスとかを持っている」という図式が出来上がっています。でも私は、お金もステータスも特に無い白丸さんをすごいと感じました。そういうのを持っているからじゃないですよね。逆にそういうのを持っていないのに自己流を行っているからすごいのです。しかも私にすごいと思われたからって白丸さんは特に何とも思わなかったはずです。それが目的でノートにアニメキャラを描いていたわけじゃないですもんね。そういう感じ全てをひっくるめて、「気高い」と感じたのです。そしてその気高さは、毎日のコツコツで作られるものだと思います。毎日コツコツ何かを続ける事は、毎日コツコツ自分を感じる事です。そしてそれによって自分に価値や敬意を感じるようになるのではないでしょうか。これを読んでくれている人も、私も、同じです。人生に対する幸せとか救いってそういう所にあると思います。私もあなたも、お互いコツコツなにかをやっていきましょう。
[おまけ]
思春期の私とおたく文化に関連する漫画は、過去に3つ描きました。おたく文化って基本は異性に関するものなので、思春期の少年少女には刺激的でした。どれもなかなか面白く描けたので、ぜひどうぞ。