5.可哀想な子というレッテル
小学校の中学年くらいだったかと思う。
当時、私が触れられる音楽というものは
伯母が借りてくるCDしか無かった。
本を読むことが好きだった私は
伯母が借りてくるCDを流しながら
歌詞カードの文字を追った。
伯母は恐らく家族の誰よりも繊細だったけれど
時々相手をひどく傷つける言葉を吐いた。
思ったことを素直に言っただけ。
真実を言って何がいけないの?と
本気で彼女はそう思っていたのだ。
そんな伯母が、
この曲、あんたみたいね。と言って流した曲が
浜崎あゆみのA Song for XX
初めて聴いた時の事はまだ覚えている。
こんな強そうな大人も、
こんな弱い事を思うんだ、と不思議に感じた。
私の周りの大人は毅然としていて、泣いたり
傷付くことはないと思っていたから。
だから、自分が泣く事は恥ずかしい事だったし
弱さを見せたら笑われると思っていた。
曲の一節にこんな歌詞がある。
いつも強い子だねって言われ続けてた
泣かないで偉いねって褒められたりしていたよ
そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた
普通に生きてるだけなのに他人に褒められる。
だから解らないフリは私もしていた。
きっとほとんどの子供は
大人が思うよりずっと成長が早い。
人格の形成も早く、人の言葉の裏を読む力、
相手が何を求めるのか見抜く力に長ける。
ずる賢いと思うかもしれないけど。
大人の顔色を伺って生きる環境に置かれた
子供はきっと、そんな風に生きるしかなかった。
なんの心配をしなくとも
毎日きちんと、ご飯を食べられることは
当たり前じゃ無い。
夜中に叩き起こされ理由も分からず
理不尽に怒られる事も無ければ
お前に使ったお金を今全部返せと言われる事も
立場をわきまえろ、家を出てけ、
お前を殺して私も死ぬ、
お願いだから居なくなって下さい
そんな言葉を言われる事も無いのだろう。
祖母は、あなたは可哀想な子だから、と彼女が
できる限りのこと全てをしてくれたけど
私は、自分を可哀想だとは思ってなったから
あなたはこうののよ、と
レッテルを貼られた気がした。
自分の心が、全く関与してない所で
私は可哀想な子だと、思われている。
私がこれから何をしたって、可哀想な子。
大人の何気ない一言でも
子供には深く刺さる事がある。
それは、親子に限らず
人間関係全般に当てはまる事。
口は災いの元とはよく言った言葉だ。
何を言って、何を言わないか。
言葉の力は絶大だから。
敏感でいたいと思う。
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