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虚しさと共に

定期的に襲われる虚しさ。これは、私が幼い頃から共に生きている。

どうして生きてるんだろう。別に病んでいるわけではないけど、素朴にそう思う。

そんな時に思い出すのは、soarで出会った向谷地さんの言葉。

精神科医のヴィクトール・E・フランクルが、人が本来持っている空虚とか虚しさをごまかさず、ひとつの大切な可能性の入り口として、そこにちゃんと立てるようになることが治療の目的だというようなことを言っているのですが、私も本当にそうだと思います。宗教も人間の根源にある曖昧さとか不安定さを見つめるところから始まりました。お釈迦さまも、イエスさまも、別にお金に困って始めたわけじゃありません。
べてるでは「苦労が恒久化した」という言い方をするんですが、「病気の苦労」が、生きていれば誰もが抱える「当たり前の苦労」になるということです。答えになっていないかもしれないけれど、仕事を得て、友達をつくり、お金が入るということは、「ちゃんと虚しく」なれるということでもあるんです。よかったですね。

虚しさを感じれることは、悪いことばかりではないのかもしれない。

虚しくなるとこの言葉を思い出して、共にに歩んでいける方法を探していきたいなと思う夜でした。

週1note

https://note.com/hiromi_okb/m/mae5e6b2a3923

終わり。