ケルン大聖堂訪問〜人の可能性を考える
ドイツ🇩🇪ハイデルベルク〜ベルギー・ブリュッセル間に立ち寄ったケルン。
ケルン中央駅(Köln Hauptbahnhof)に降り立ち、駅から一歩出るとすぐにこの威容が聳え立っていました。
見上げるほどのファザードの塔の雄大さもさることながら、門、柱、窓に隈無く施された精緻な装飾や聖人たちの彫刻に思わず息を呑むほど。
世界遺産がこんなに人々に開かれた形で存在し続けていること、そのことにまず衝撃を受けました。(結果的に、昼も夜もで日に3回も見直してしまいました)
足を踏み入れるとガラリと空気が変わり、灯されたロウソク、ステンドグラスを透かした光等の薄明かりの中に、数百人は優に参列できるほどのベンチが浮かび上がります。
ステンドグラスにはキリストの生誕からゴルゴダの丘での磔刑への物語が描かれ(一部現代アーティストの修復画も)、会衆席の奥に進むと聖人たちの祀られた祭壇も。
ある程度聖堂の中を巡った後、小一時間ほど、2人してベンチに腰掛けて、この聖堂の歴史に思いを馳せていました。
この大聖堂は13世紀にゴシック様式の建築として着工が始まり、第二次世界大戦の空襲を耐え、ドイツ国内のゴシック様式再興の潮流の中で今の形になったそうで、実に600年もの年月をかけて完成に至ったのでした。
そんな途方も無い事業そのものや、繊細かつ壮麗なデザインを興した発案者、完成に向けてその事業に関わった貴族、聖職者、名も無い石工や、もしかしたら奴隷…
そういったもの・人々に思いを巡らせていると、日本にいる自分は、自分たちは何をこの世界に残していけるだろう…?
そんな問いが浮かんでくるのでした。
戦火の焼け跡からか、自然と積み重なった塵等からか、あるいは数百年の人々の願い、祈り、執念のようなものからか、すぐ間近の柱一本からも重厚感とある種の畏怖、プレッシャーを感じるような気がします。
さて、普段お仕事として『ティール組織』という、人の組織の発達概念に触れることが多いのですが、このケルン大聖堂を作り上げたのは、どの発達段階の組織形態によるものでしょうか。
いわゆる『アンバー型(教会組織、軍隊に代表される厳格な規律と権力階層等が特徴とされる)』や、19世紀以降はもしかしたら『オレンジ型(機械的と喩えられ、数値計算や効率に基づく達成的思考傾向を持つ組織)』によるものかもしれません。
先日、日本では #ティールジャーニーキャンパス という『ティール型』にフォーカスした人の働き方、組織の形態を取り上げる企画が数百名規模で催されましたが、ふと、
『ティール』を声高に叫ぶ前に、これまで人が積み重ねてきた歴史や営み、それによって生み出されてきた社会的・文化的・構造的な成果等を、もう一度見直すべきじゃ無いか?
それらを吟味した上で、
本当に今、一人ひとりが向き合うべき場所において、どんな組織や働き方が良いのか?を考えたり、
『今、何を大事にして生き、何から始めるか?』
を、問い直した方が良いのでは無いか?
そんな風に強く感じるようになりました。
また、今回のケルン滞在では、上記のような組織論・経営論を超えて、信仰の力…人の想いをある方向へ向けて束ね、時間、財、資材、労働力、知恵等あらゆるものを集結させ、結実させようとする力の大きさを感じられました。
ケルン滞在中も、環境問題における報道等を目にすることもありますが、今、改めて、自分たちが生きているそれぞれの場所から、一人ひとりが何を大事にして、何から始めましょうか?
そんな問いもまた、日本に持って帰ろうと思います。