[自己紹介] 旅する夫婦-私の人生を変えた海外との出会い
1. 私の少女時代
体育館に響く羽根を打つ音が、今でも耳に残っている。
「もっと後ろ! そう、そこ!」
顧問の声が響く中、汗を滴らせながらシャトルを追いかけていた。女子高のバドミントン部。全国大会出場を目指し、毎日の練習に明け暮れる日々。
朝練は6時開始。まだ暗い通学路を自転車で急ぐ。夕方まで授業を受け、放課後練習、帰宅は日が沈んでから。週末も練習試合や大会。そんな毎日が、私の高校時代のすべてだった。
目標には届かなかったけれど、県大会ベスト8という結果は今でも誇らしい思い出だ。
当時の私の世界は、学校と体育館の往復だけ。パスポートどころか、試合以外で県外に出ることさえ稀だった。休日も練習漬け。友達との会話も、次の試合の話題が中心だった。
でも、あの頃の私は満足していた。目標に向かって全力で打ち込める、それだけで充実していた。
「もし、あの頃の私に今の生活を話したら、信じただろうか」
各国を旅して回る私を、シャトルを追いかけていた少女は想像もできなかっただろう。
2. 大学時代-海外との出会い
高校時代の規則正しい生活から一転、大学生活は戸惑いの連続だった。バドミントン部には入らず、突如として生まれた「自由な時間」の使い方に迷っていた。
それまでの人生で初めて、「自分が本当にやりたいことは何だろう」と考えるようになった。
転機は、教養課程の英語の授業だった。
「私、オーストラリアから来たばかりなの」
隣の席だった子は、1年間の留学を終えて帰国したところだと話してくれた。彼女の話す英語は流暢で、目は輝いていた。
「留学って、どんな感じなの?」
何気なく投げかけた質問から、彼女との会話は尽きることがなかった。
現地でのホームステイ生活、週末の友人たちとのロードトリップ、見知らぬ土地での出会い。その一つ一つが、私には新鮮な衝撃だった。
「私にもできるかな...」
高校時代、バドミントンで培った集中力と向上心は、英語学習に向けられることになった。毎朝6時に起きて英単語を覚え、通学中はリスニング、昼休みは英会話サークルに参加。
あの頃の練習量と同じように、私は英語の勉強に没頭していった。
「最初の海外旅行は、英語が通じやすい国がいいかな」
図書館で旅行ガイドを読みあさり、初めての渡航先としてシンガポールを選んだ。
大学2年の夏。生まれて初めてパスポートを手にした時の高揚感は、今でも鮮明に覚えている。
チャンギ空港に降り立った瞬間、むわっとした熱気と、異国の匂いが私を包み込んだ。
当時出来たばかりのマリーナベイ・サンズの展望台で、夜景を見つめていた時のことだ。
「Where are you from?」
隣にいた韓国人女性が話しかけてきた。拙い英語で会話を交わすうち、彼女も一人旅だと分かった。
「私も初めての海外なの」その言葉に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
二人で地元のホーカーズセンターへ。チリクラブを頬張りながら、それぞれの国の話に花が咲く。言葉は完璧じゃなくても、気持ちは通じ合えた。
このシンガポールでの小さな成功体験は、私の背中を大きく押した。
3. バックパッカーとして過ごした日々
それからの私は旅にのめり込んだ。
次の休みには、タイのバンコクへ。そして、チェンマイ、プーケット。一つの国をじっくりと巡る旅へと発展していった。
バックパッカー宿で出会った旅人たちは、私に新しい視点を与えてくれた。
「なんで日本人って、こんなに短い休みしか取れないの?」
オランダから来た女性の言葉は、私の価値観を揺さぶった。
彼女は1年かけて、アジアを周っているという。仕事は辞めたが、また違う仕事を見つければいい。人生は一度きり、やりたいことを後回しにする必要はない―。
アルバイトで貯めたお金は全て旅の資金に。節約のため、弁当を持参した昼食。それでも、次の旅を夢見る毎日は輝いていた。
ベトナムのハロン湾で出会ったイギリス人カップル。
ラオスのメコン川沿いで一緒に朝食を取ったフランス人バックパッカー。
カンボジアのアンコールワットで夜明けを待った日本人フォトグラファー。
彼らとの出会いは、私の将来の選択肢を広げていった。
4. 社会人としての違和感と夫との出会い
「新入社員の皆さん、おめでとうございます」
春の日差しが差し込む中、迎えた入社式。スーツに身を包み、私は新しい人生の一歩を踏み出した。
営業部配属。数字に追われる毎日が始まった。
「今月のノルマ達成できそう?」
上司の言葉に、いつも胃が締め付けられる。
高校時代に培った粘り強さを活かし、必死に食らいついた。でも、心のどこかで違和感が膨らんでいく。
デスクの引き出しには、東南アジアで撮った写真がしまってあった。たまに見返しては、あの頃の自由な空気を思い出す。休暇もなかなか取れず。残業が続き、週末も仕事が頭から離れない。
「これって、本当に私の望んだ人生?」
入社3年目の冬。ある案件が大きく躓いた。夜遅いオフィスで、ついに涙が溢れ出した。
その後、社内異動で営業企画部に移動になった。そこで出会ったのが、今の夫だった。
「君、海外行くの好きなの?」
企画書を作成中、私のデスクの写真を見つけた彼が声をかけてきた。
「実は僕も旅が好きでね」
彼は休日、よく日帰り旅行に出かけるという。
古い町並みを歩いたり、ローカル線に乗って終点まで行ってみたり。
「新しい景色を見るのが、好きなんだ」
その言葉に、心が大きく揺れた。
企画の打ち合わせは、いつの間にか旅の話で盛り上がるようになっていた。
「今度の休み、鎌倉行かない?」彼からの誘いは、そんな何気ない言葉だった。
江ノ電に揺られながら、私たちは価値観の一致に気づいていった。
「人生を楽しむこと」
「新しい発見を大切にすること」
「自分らしく生きること」
高校時代、バドミントンに打ち込んだように。
大学時代、旅に魅了されたように。
もう一度、自分の情熱に正直に生きたいと思った。
5. 結婚という選択
「会社を辞めることについて、どう思う?」結婚を決めた夜、私は思い切って打ち明けた。
夫は黙って私の目を見つめ、こう答えた。
「僕は君の挑戦を応援したい。でも、具体的なプランは立ててる?」
実は、社会人になってから細々とWeb制作の勉強を続けていた。仕事後の時間を使って、コードを書く練習を重ねていたのだ。
「フリーランスとして、Web制作の仕事をしていきたいの」
夫は真剣な表情で私の話を聞いてくれた。
そして、こう言った。
「じゃあ、半年間で準備しよう。その間に実績を作って、貯金もしよう」
計画的に準備を進め、結婚式の3ヶ月後、私は会社を退職した。
6. フリーランスとしての挑戦と新しい旅のかたち
最初の3ヶ月は、不安との戦いだった。案件が来るのか、収入は安定するのか。
コツコツと続けるうちにありがたいことに少しずつクライアントが増えていった。
Web制作だけでなく、旅行関連のライティング案件も舞い込むようになった。
フリーランスになって半年後、私たちは結婚後初めて夫婦で海外旅行へ出発した。
向かった先は、モロッコ。
「学生時代の一人旅とは、全然違う」
フェズの迷宮のような街並みを歩きながら、夫とそんな会話をした。
一人旅には一人旅の良さがある。
でも、感動を共有できる相手がいることの幸せを、私は今かみしめていた。
マラケシュのスークで迷子になった夜。不安になるどころか、二人で笑いながら路地裏を探検した。
「こっちかな?」「いや、さっきのモスクから左だったはず」
迷う中で見つけた小さなレストラン。
地元の人しかいない店で食べたタジン料理は、今でも忘れられない味だ。
サハラ砂漠でのキャンプ。
満天の星空の下、夫が囁いた。「一緒に来られて良かったね」
その言葉に、胸が熱くなった。
今では、年に3〜4回は海外へ。
でも、ただの観光旅行はしない。私たちには、こだわりがある。
その土地でしか体験できないことを探す。
現地の人との交流を大切にする。そして、できるだけ長く滞在する。
イタリアでは、トスカーナの小さな農家に2週間滞在。オーナー家族と一緒にオリーブの収穫を手伝った。
ニュージーランドでは、キャンピングカーで南島を一周。羊飼いの老夫婦に招かれ、手作りの夕食を振る舞われた。
(※この辺りはまた記事にします。)
7. これからの私、そして私たち
先日、モルディブから帰国したばかり。
でも、もう次の旅の計画を立てている。
「スペインのサンセバスチャンに今度は少し長期で行ってみる?」
「いや、やっぱりアメリカには行っておくべきじゃない?」
休日の朝。コーヒーを飲みながらの会話。世界地図を広げ、次の目的地を指さす。
かつて、バドミントンに全てを懸けた少女は、今、世界を相手に新しい挑戦を続けている。
そして、この記事を読んでくださっているあなたへ。
私たちの旅の記録が、誰かの背中を押すきっかけになれば嬉しい。
旅は、人を変える。私がそうだったように。
さあ、また新しい場所へ。私たちの旅は、まだまだ続いていく。
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