ラジオがつくる極上の物語「あの夜を覚えてる」
いまだにトップクラスのエンタメだと思っている。
何かって?
「あの夜を覚えてる」だ。
ご存知の方はおいでだろうか。
2022年3月、ニッポン放送から生配信で上演された舞台作品だ。
私はなぜか「ラジオ」が持つ「不自由さ」にとてつもないロマンを感じてしまって、ヘビーリスナーには程遠いラジオ好きにも関わらず、ラジオと名のつくお祭りごとにはたびたび首を突っ込んでしまいがちだし、ワクワクしてしまう。
それでこの「あの夜を覚えてる」も、ラジオが舞台と聞いただけで、速攻でチケットを買ってしまったのだ。
人は不完全なものに惹かれるというが、まさに小説のような自分の中で色々と膨らませないといけないものだったり、舞台のような限られた中だからこそ伝えようと必死に練られたものに圧倒されたいし、クラクラしたいのだ。
その中でもラジオは、"音だけ"という、不完全な中で届けるエンタメの最たるものだと思う。
声だけで届ける。
リスナーはたくさんいるけど、この声は今、自分1人に届いている。
仕事中の、運転中の、自分1人の世界に届く、小さな声に耳を傾ける。
人々が寝静まった静かな夜に、パーソナリティと同じ時間を過ごす。
声だけなのに、頭の中で、世界が広がっていく。
孤独なのににぎやかな、鮮やかな時間を、ラジオは届けてくれる。
なぜ今頃になってこれについて書き残そうと思ったかと言えば、去年秋に発売された同名小説を最近たまたま本屋で見つけ、即買いし、一気読みした結果、あの頃の感動がまざまざと蘇ってきてしまったからだ。
書かずにはいられなくなった。
小説もとても良かった。
そしてだからこそ、あのときの映像の完成度にもまた心揺さぶられた。
改めて感動したのだ。
そこで今回は「あの夜を覚えてる」の心揺さぶられたポイントを厳選して3つまとめてみた。
※直接的なネタバレ記載はなし
すべてが本物のラジオの物語
まず、大前提として、これはストーリーが最高なのだが、それ以上に、実際に本物のニッポン放送の建物を縦横無尽に走り回り、実際のANNが届けられている部屋も何もかも使って、役者さんをカメラが追っかける形で撮影して、しかも生配信したということがとにかくすごい。
マジでこの企画考えた人、頭おかしい。佐久間さん?(最大の賛辞)
カメラワークもそうだし、場面の切り替えもそうだし、各役者陣のタイミングだったり、それをディレクションしている人もそうだし、マジで頭おかしくなるレベルの難題揃いだったのではと思う。
役者の側には当たり前だけど、カメラマンが同じ足取りで動いているはずなのに画面には一切映らないところも、何度も何度も確認と練習を重ねた賜物に違いないと、毎回毎回映像を見返すたびに新鮮に思い耽ってしまう。
作り手としては感じてもらいたくないポイントだろうけど、微かに感じる役者以外の足音だったり影だったり、役者さんがセリフを噛んでしまったりするところが、より本物の、ライブ感を感じられてとても良かった。
そして、作り手も、演じ手も、
ラジオを愛する本物の人たち。
だからだと思うけど、あくまでもフィクションなのに、物語を通じて伝えようとしてくるメッセージは本物だった。
ラジオを通じて本当に届けたいメッセージがしっかり根底に詰まった物語になっていた。
ラジオ愛があまりにどこぞここぞからも感じられすぎて、フィクションなのに、もはやノンフィクションの域に達していた。
そしてなんといっても、終盤で実際のハガキ職人のメールの内容を使うところなんか、限りなく本物に近い演出だった。
藤尾涼太(千葉雄大)がメールを読み上げた瞬間、藤尾涼太と一緒に私も泣いたよね。
ラジオはパーソナリティだけがつくるものではない。
リスナーがいてその中にハガキ職人がいて、みんなで作られてるんだと、作り手側から発信してもらえるなんて、リスナーに対しての愛が強すぎると思った。
物語はあくまでフィクション、ということは分かっている。
でももはや隠す気がない製作陣の全方向のラジオ愛が、あまりにも良い影響を与えていて、とてつもない迫力につながっていた。あまりに心地良かった。
「ラジオは本音を曝け出す」の壮大な伏線回収
もうこれは核心に触れるところなので、オチには触れずに書く。
この物語のテーマは「ラジオは本音を曝け出す」
物語の序盤から、ラジオは本音が出てしまう、曝け出す場、と言った内容が何回も出てくる。
そしてそれを根底から揺るがすような問題が発覚する。
実際のラジオでも、テレビでは見せない芸能人の顔、本音、的な感じでラジオでの発言が注目されたりするように、ラジオリスナーは、パーソナリティがラジオで話してくれることに絶対の自信というか、テレビよりもラジオでの方が本音を語ってくれているはず、リスナーを大切にしてくれるという信頼を持ちがちなように思う。
私はかつて菅田将暉のANNのヘビーリスナーで、現在ファンクラブにも入っているくらい好きな芸能人なのだけれど、ラジオを聴いているときは、ファンというより友達の感覚だった。(ラジオを聴いていない人にこの見解を話すとだいぶ引かれるけど)
ただ、この感覚はラジオを聞く人なら分かってくれる、そんなにおかしなものではないと思っている。
「あの夜を覚えてる」の登場人物が、ほぼこの思想だったので、ますますこの物語に共感したしのめりこめたと思う。
だからこその、最後の伏線回収には痺れた。
パーソナリティを支えるリスナー達の描き方が秀逸過ぎた。
さっき書いた、藤尾涼太がメールを読み上げたシーンで泣くというところがこの伏線回収のシーンでもあるのだけれど、見返すたびに懲りずに毎回ここで泣く。
愛だし、信頼だなぁと思う。
映像では登場しなかった、ある存在
ここまではすべて映像のことを語ってきたが、最後のポイントは、小説についてだ。
この小説はこの生配信舞台の内容をもとに、山本幸久さんが書いたものだ。
私は元々、山本幸久さんの著作が好きなので、大好きな映像作品を山本幸久さんが小説化してくれたなんて最高過ぎではないか!!と、1秒も迷わずその本をレジへ持って行った。
読んでいて思ったのは、映像を知っているからなのか、人は映像よりも実は文字の方が多くの情報をキャッチできるのか分からないが、映像では気づいていなかった新たな発見がたくさんあった。
こんな描写あったっけ?と思って映像を見返したら、そう思ったほとんどすべてのシーンがちゃんと映像でも表現されていた。
文字だけの表現なのに、目と耳で観ているときより、頭の中での映像の広がりが広大なことに驚くとともに、そもそもまったく違和感なくあれらが小説化されていることに衝撃を受けた。
昨今、小説から実写はなかなか一筋縄ではいかないようだが、実写から小説だとこうもうまくいくものなのだろうか。
ただ、オリジナルストーリーが加えられている部分もある。
ここが映像と小説の差となってくるので、評価のしどころだと思うが、ほぼ完璧なオリジナルストーリーだったと言わざるを得ない。
ネタバレをせずに書くと、映像では見せていなかったけど絶対に存在する人の視点を追加している。
そして、その存在のキャラクター設計が、もう理解が過ぎていると言っても過言ではない。
あの物語にはこういう人がいて、こういうことがラジオとともに生まれている、というある意味欠かせない視点が追加されていて、とてもとても良かった。
他には、藤尾涼太の人となりに関してのことも、そういうことがあったんだ!とスッと受け入れられるような話で追加されていて、より藤尾涼太を魅力的にしていたと思う。
個人的には最後のところと、次回作の導入が蛇足かなと思ったけど、それ以外は気になるところはまったくなし。
見事な小説化だと思った。
こんなに散々色々書いたのだが、残念なことに私の筆力では、この作品の凄さの10分の1も良さが伝えられていないと思う。
特に映像は、最初に書いた一番のポイントでもあるけど、ニッポン放送ビル全体を使って、生配信で、リスナーと一緒に作ったという挑戦の一点だけにおいても観る価値があると思っている。
すべてのラジオを愛する人たちに。
映像も小説もぜひ味わってみて欲しい。