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なぜ天動説は支持されたのか

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天動説が支持された理由を中世ヨーロッパの観測技術や宇宙観の側面から記述します。
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なぜ天動説は支持されたのか ⑥ティコ・ブラーエ

第一回から読みたい方はこちらから ティコ・ブラーエによる精密な観測 ティコ・ブラーエ(1546-1601)はデンマークの大貴族で、豊富な資金と人を導入し当時の観測技術で行える最高の測定を長期間にわたって行った人物である。 ティコ以前にも星を観測して位置を記録していた人々はいたが、当時はデータの扱いが雑で誤差や誤りも多く、観測期間も短かった。例えばその地域からは見えるはず星が載っていなかったり、星の位置が大きくずれていたり、観測期間も数か月~数年であった。ティコが行った観測の

なぜ天動説は指示されたのか ③プトレマイオス

第一回から読みたい方はこちら 〇プトレマイオスによる天動説の完成アリストテレス以外にもう一人、天動説優位を絶対のものにした古代の人物がプトレマイオス(83?-168)だ。プトレマイオスはローマ帝国の時代のエジプトの天文学者・数学者だ。彼は地球の大きさを測量によって求めたほか、数学や音楽の分野でも功績が残るマルチな才能を有していた。 彼の著書「アルマゲスト」は彼以前の天体予測技術を含めた集大成であり、(天動説にたった)天体の運行軌道に関する理論、天体の測定方法、測定結果の解