Yuka

好きなものは、70年代のロックと映画、そして猫です。この3つについて思いつくまま文を書くことが多いです。拙い文ですが、読んでいただけたらこれ以上幸せなことはありません。

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好きなものは、70年代のロックと映画、そして猫です。この3つについて思いつくまま文を書くことが多いです。拙い文ですが、読んでいただけたらこれ以上幸せなことはありません。

マガジン

最近の記事

ジェフ・ベック さらばギター殺人者

あの頃ベックに憧れたみんな、今どこで訃報を聞いてるんだろう 「ワイアードよりライブ・ワイアーの方がすごいぞ!」と興奮してたあの子、今何をしてるんだろう 鬼籍に入った子もいるんだろうな かつてのギター小僧たちの顔が浮かんでくる 青春時代のレジェンドが逝く 擦りきれるほど聴いたカセットテープの思い出とともに

    • 再生

      コロナが他人事だった頃の大阪メモリー

      私のスマホ・XPERIAは、前月に保存した画像を30秒ほどのBGMつきのストーリーに自動編集してくれるサービスがあります。 これは1月末に大阪で撮った画像を繋げたもの。お寺で寛ぐ野良猫たちや、新しくなった梅田の泉の広場。 武漢でコロナというウイルスが流行しているらしいね、と言う程度だった頃。 わずか2ヶ月半前です。再びこの風景が見られるのはいつのことでしょう。まさかもう…。

      • ユニコーン「フリージャズ」

        時々無性に聴きたくなるユニコーンの曲。 ユニコーンの曲は好きなのがたくさんあるけど 個人的にはこれが一番ですね。 短い曲なんだけど 男女の別れの描写がたった8行の歌詞に表現されています。 余分な文はいっさいなし。 この8行だけで 状況が頭に浮かんできます。 メロディもすごくシンプル。 「フリージャズ」ってタイトルに合わせてるんでしょう。 レコードを聴いてるようなアナログな録音。 それがさらにもの悲しさを際立たせてます。 うまいなあ。 最後の1行がほんとニクイですね。泣かせんな

        • 企業メールだけど、素敵だった話

          ※3年前にブログに書いた文章ですので、ちょっとズレてしまっている表現もありますがご了承願います 古いPCを処分することになり 必要なデータがあるかどうかチェックしていました。 おととし新しいPCに買い替え 古いほうは夫がサブとして使用してたのですが いよいよ寿命がきたようで サブPCも新たに購入した次第。 さよならVistaよ。 買い替えた時にデータを移動させてはいましたが 漏れがあってはいけないので念のため。 そうだ、メールをそのままにしてあった~と 思い切り動きが遅く

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        • 1本

        記事

          新井浩文の大阪弁~「血と骨」を観て

          Amazonプライムで無料視聴した映画三連発が、百円の恋・クヒオ大佐・血と骨。 偶然だが、どれ観ても新井浩文。どこを切っても金太郎というぐらいに新井浩文だった。 で、特に印象に残ったのが「血と骨」での彼の大阪弁。 関西弁のイントネーションというのは独特である。これは関西で生まれ育った人間しか習得できないといっても過言ではない。 しかも関西人は、関西以外の人間が関西弁をしゃべるのを異常にいやがる。少しでもイントネーションが違うと「キモイわっ!」と拒否反応を起こす。 特に大阪。

          新井浩文の大阪弁~「血と骨」を観て

          クイーンが登場した頃の思い出

          映画「ボヘミアン・ラプソディ」大ヒット満員御礼。 リアルに聴いてた世代にとってはなんかこそばゆい感じ。 「そういや私もクイーンのレコード持ってるわ。 デビューアルバムとデビューシングル」 と思い出し、ガサゴソとひっぱりだしてみました。 はい、歴史的デビューのシングル盤です。 「Keep Yourself Alive」。邦題「炎のロックンロール」(笑)。 タイトルの上についてるキャッチコピーが 「ブリティッシュロック界最高の新人・ニューヘヴィロックグループ・クイ

          クイーンが登場した頃の思い出

          70年代の中学英語「ニュープリンス」~ベンとルーシー

          中学英語の教科書に登場する「エレン先生」がかわいいと話題になっていたので ふと自分の中学時代の教科書を思い出しました。 70年代の英語の教科書は 「ニュークラウン」「ニューホライズン」「ニュープリンス」の3種類あり 学校によって(地域によって?だったかも)使用する教科書が違っていました。 私の学校は「ニュープリンス」。 なぜ3種類あるのを知ってたかっつーと 当時、購読していた旺文社の学習月刊誌「中1時代」の学習ガイドページが この3種類別になっていたからです。 それで「クラ

          70年代の中学英語「ニュープリンス」~ベンとルーシー

          漫才を題材にしたドラマ「シェイクハンド」

          ふと思い出したドラマ。 もう30年前になるのですが フジテレビ系で放映された 関西テレビ30周年記念製作のドラマ。 売れない漫才コンビを題材にした 「シェイクハンド」。 ギャラクシー賞を受賞した秀作です。 今ではバラエティ番組の方で活躍してる感の渡辺徹と 45歳という若さで亡くなった古尾谷雅人の二人が主演。 もううろ覚えなんですが 思い出す限りであらすじを。 順と光夫は売れない漫才コンビ。 寄席でもまったく受けない。 当然、漫才だけでは食べて行けず ふたりともバイト生活で

          漫才を題材にしたドラマ「シェイクハンド」

          見送らせてくれた彼女

          5年前からうちの敷地を通っていた彼女。 小柄で顔は怖いし、人間が近づくとシャーシャー威嚇。 保護しようとしたが何度も流血させられたので断念。 過去によほどひどい目に合わされたのだろう。 最近は体調が悪そうにしていたが、けさ段ボールの中で冷たくなっていた。 人目につかないところでなく、すぐ見える場所を選んだのは、少しは信用されてたということだろうか。 お寺でお葬式をあげ、最後に撮った写真に思いを馳せる。

          見送らせてくれた彼女

          大毎地下劇場

          私はなんといまだにシネコンで映画を観たことがないのです。映画ファンといいながらねえ。 息子たちをシネコンまで送迎することはよくあるんですが、自分は入ったことありません。 一番近いシネコンまで車で1時間近くかかります。 そこで息子たちが映画を観てる間に、イオンやらヨーカドーやらで食料品の買い出しをします。 なんと私の住んでる地区には、イオンもヨーカドーもないんですよ(!)。 だから結構私も楽しみにしてたりします。でかいショッピングセンター巡り。 とまあ、今はこんなふうに映画館

          大毎地下劇場

          子どもの夏休みは地獄じゃない

          子どもが夏休みだと地獄だ~というお母さんが多いと耳にするが なんてもったいないことを言うんだろう、とずっと思ってきた。今でも。 私は子どもたちが夏休みになると 「ああ、ずっと家にいてくれるんだ」とうれしかった。 そりゃ、子どもたちがずっと家にいたら大変だよ。 昼食の用意、増える洗濯物、宿題の手伝い、兄弟げんかの仲裁 私も仕事を持ってたから、夏休みなんてフル回転の忙しさだった。 でも 子どもたちがずっとそばにいてくれるって 日々成長していく子どもの姿を間近で見

          子どもの夏休みは地獄じゃない

          阪急ファイブの思い出(HEPじゃないよ)

          大阪の梅田に、70年代から80年代にかけて存在していた ファッションビル「阪急ファイブ」。 今は「HEP FIVE」という大きなビルに建て替えられて 屋上には観覧車もあります。 HEPができたのは私が大阪を離れてからなので 行ったことはないのですが。 もう覚えている人も少なくなってきたであろう阪急ファイブ。 オープン当時、私は小学生で テレビCMが頻繁に流れていたのを記憶しています。 締めのフレーズは「はんっきゅう ふぁ~いぶ♪」でした。 私はミナミの文化圏に住んでいた

          阪急ファイブの思い出(HEPじゃないよ)

          父と最後のおしゃべり

          元旦に、大阪の病院に入院している父親を見舞いに行きました。 痛みどめのモルヒネの量が増えたせいで 父は始終夢の中にいます。 ある時は永年働いていた職場          またある時は生まれ故郷の川べりと 自分のいる場所がころころ変わります。 胸ポケットには運転免許証。 「これがないと仕事ができん」と宝物のようにしています。 昨年末で期限がきれているのに。 父「みやげに海苔巻を買って行ったらどうや」 私「どこに売ってるの」 父「4号館の地下や」…約40年勤めた職場のビル街の

          父と最後のおしゃべり

          「子猫あげます」の貼り紙があった時代

          大島弓子の「グーグーだって猫である」を読み 子猫を譲渡する場面で 子供の頃に飼ってた猫を思い出した。 昭和後期 今のように猫を去勢・避妊手術させて室内飼いするという習慣はなかった。 そもそも猫を病院に連れて行くという考えも浸透してなかった。 だから動物病院も今とは比べ物にならないぐらい少なかった。 飼い猫が子供を産むと 玄関先や電柱・外壁に 「子猫あげます」といった貼り紙がされていた。 そのお宅も玄関先に「かわいい子猫あげます」と 猫の絵が描かれた貼り紙を出していた。

          「子猫あげます」の貼り紙があった時代