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ベティ・ブープと峰不二子

ベティちゃんを知ってるのは、そこそこ年齢が上の世代かなと思います。
でもECショップでベティ•ブープで検索するとキャラクター商品は沢山売られているので見たことはあるかもしれません。

わたしはこのキャラが嫌いでした。

レトロ柄をお洒落だと認識した友人にノートだかメモ帳だか忘れましたが戴いたことがあるのですが、やたら女らしい体型とポーズをどうしてもお洒落だと思えなくて、結局使えなかったのです。


今朝、ふとSNSを開くと献血のポスターの巨乳キャラが炎上していて、擁護する人達は、なんと「巨乳の人に失礼だ」と云っておりました。

はあ?ですよ。
巨乳歴長いのでひとこと云わせてもらいますけど、「そのポスターには嫌悪感しかない」です。

別に表現の自由をどうこうじゃないです。
どこかの美術館でその展示があったら、行かないだけです。どこかの首長みたいに座り込みとかアホなことはしません。
どうぞお好きにやってください。
公共の場にあることが嫌なだけですから。

ただね、同じ巨乳キャラでも嫌じゃないのがあるんです。

峰不二子。

不二子ちゃんです。

そこで、ベティちゃんが嫌で、不二子ちゃんは嫌じゃないのは何故なのか、考えてみました。


困った顔、じゃないか。


不二子ちゃんは、いつも毅然として困った顔なんかしない。

それに対してベティちゃんは不自然な下がり眉が定番です。

ベティちゃんの服装は、1936年からの検閲制度であるヘイズ規制によって、大人しいものに変えられて、それで人気が翳ってしまったらしいですが、女性達の嫌悪感の正体は服装よりむしろあの下がり眉じゃないかしら。

不二子ちゃんみたいに毅然としてたら、嫌悪感はそんなに感じないんですよ。彼女が困り顔をするとしたら、それは策略の一環だし、大抵の彼女はいつもキリッとして格好いい。それに何より彼女は、女性であっても決して弱い立場の人間じゃないんです。対等かそれ以上。

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世の中にハラスメントがあるのは、人の困った顔を見たい人がいるからじゃないか。

と、思いつきました。

セクハラもパワハラもいじめも、自分より立場の弱い相手を困らせる行為をするわけですが、ハラスメントをする側は、行為そのものより弱い相手を困らせることに快楽を感じているように思うんですよね。

会社でおじさんが女の子へセクハラするとき、セクハラ的な行為そのものより女の子の反応を楽しんでいませんでした?

困り顔への嫌悪感は、そこにハラスメントの気配を感じるからだと思います。

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困り顔巨乳のポスターを見せられて嫌悪感を持つのは、社会的にハラスメントを受けがちな側だけど、恐らく擁護する側はそれがハラスメントだと気付けない人も多いのでしょう。全く悪気なく。

神戸市の教員へのいじめ問題で、謝罪文を読んでいじめていた側があまりにも自覚がなくて驚きましたが、所詮ハラスメントする側というのは、受ける側から見ると驚くほど無自覚なものなのかもしれません。

今どきのバラエティも、誰かを困らせて、それを眺めて笑いをとるようなものが多いけど、笑ってる人達はそのハラスメント性には無自覚で悪気がないんでしょうね。

人の困った顔を見て萌えや快感を感じる人は、自分にハラスメント欲求があるんじゃないか、と胸に手を当てて考えてみて欲しいです。

もういい加減、立場の弱い人を支配したい欲求から卒業して、人として対等な立場で関係性を結ぶことを学びませんか?

あ。表現は自由だから描くこと自体は結構です。ただ、自身のハラスメント性を自覚して描くなり消費するなりして欲しいです。そして公共の場でのご使用はお控えください。


長くなりましたが、どうしても巨乳が描きたいならベティちゃんではなく、峰不二子みたいにキリッとした顔で、ハラスメント性を感じさせない毅然さで表現してほしいです。

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