父のこと
わたしの父は鉄道オタクです。
なんて、云えるようになったのは大人になってからのこと。
小中学生の頃は、それはひた隠しにしなければならないような、ちょっと恥ずかしいことでした。今では考えにくいことかもしれません。
まだサブカルが市民権を得る前のことです。
休日の朝、リビングに降りていくと、「シャー」という音がして、部屋の中に敷かれたレールの上を小さな電車が走っている。足で引っ掛けたりしたら、怒鳴られる。みたいな、そんな家族の風景を誰にも話せませんでした。
撮り鉄で、模型マニア、Nゲージより少し大きいサイズの模型を手作りしていました。
線路の図面もよく書いていました。
数年前、父は二階のロフトの壁に穴をあけて、屋根裏に部屋を作ってしまいました。
そしてその屋根裏に模型のジオラマを作っているようです。定年後はその部屋に篭ってマニアな世界を楽しむ日々。
足の悪い母はロフトの梯子を昇れないので、ジオラマを見ることはありません。
わたしも滅多にロフトには上がりません。
そこに客人が入ることもありません。
つまり、
父はそのジオラマを誰かに見せる気は一切ないんです。
パソコンやスマホを使う世代じゃないので、動画や写真を発信するようなこともできないですし。
もう本当に純粋な自分ひとりの楽しみのためだけに毎日せっせとジオラマを作っているわけです。
父には承認欲求というものが殆どないような気がします。
大事なのは自分の世界であって、他者の評価はそこに関与しません。
たまに写真展に父と母がそれぞれ写真を出すことはあるんですが、あれは母に付き合ってるだけで、父は人に評価されることはわりとどうでもいいと思っているようです。
賞をとるのはいつも母の方で、人並みの承認欲求がある母はとても嬉しそう。
審査員好みの写真を撮る母とは対照的に、父は「どうせ審査員の好みの写真は撮れない」と開き直り飄々としています。
趣味だけでなく、そもそも人のご機嫌をとる、ということがない人なんですよね。
父はちょっと変わった人でした。
空気を読めないし、読む気もない。
その性格に家族は振り回されたり傷ついたりもしましたが、ようやく最近彼はどうやらアスペルガー的な要素をかなり持っている人だということが判明し、そう理解してからは母とも比較的うまくいっているようです。
「思いやりがどういうことかわからない。」
と、真顔で云われたときには母もわたしも心底驚きました。
自分の親に、思いやりが分からないって云われるのかなりしんどいですよ。
わたしそういう人に育てられたんだ、っていう恐怖感にも近い、自分も普通じゃないのかもしれないという不安で押しつぶされそうでした。
我が家は母がとても普通の感覚の人で、父は育児に殆ど関与していないから、そんなに不安になる必要はなかったのかもしれませんが。
ただ普通の感覚の母にとって、父の特性を理解する以前、自分達と同じ感覚の人だと思って過ごしてきた数十年は、実にストレスフルな暮らしでした。
悪気はないのよ。
という、その1点だけで、全てを赦してきた母も、長年の不満が積もりに積もり、別れる別れないの話にまで発展したのはほんの数年前のこと。思いやりが分からない旨の発言はそんな中で父が発したものでした。
でもちょうどその頃、世の中に大人の発達障害についての知見が広がり、父がわたし達と少し違う感性を持っていたことを知ったのでした。
母が父の感性を理解するのと同時に、父本人にも自覚が生まれ、改善できる余地があることがわかり、それ以来ふたりの暮らしはかなり平和なものになりました。
全ては知ることから、なのかなと思います。
ほんとうの意味での思いやりは分からないままでも、他者と自分の感覚の違いを理解しようとして、歩み寄ろうとするなら、それは父なりの思いやりだと思います。
歳を取っても人は成長できるものですね。
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