坐骨神経痛の秋

土曜日の午前中は、古い時代のオペラの華々しい幕開けの太鼓みたいな雷が鳴って、トレモロのような雨が降っていたのに、午後はまた夏に戻ったような日差しが降り注いでおりました。

街路樹のすっかりくたびれた葉っぱが作ってくれる歩道の日陰を腕まくりして歩いていて、ふと見上げたら綺麗な鰯雲。


空はすっかり秋でした。


かろうじて日陰を作ってくれている葉っぱはうなだれて、ただ落葉の日を待っているかのよう。
更年期にさしかかり、すっかり艶がなくなって量も減ってしまったわたしの髪みたい。


いまが人生の秋。


という恐ろしく月並みなフレーズが降ってきました。


美しく華やかな秋ではなくて、紅葉しそこねてまだらに茶色く変色した、我が家の残念な桂の木のようです。


なんの価値もないようなわたしの秋。


枯葉ですらちゃんと価値があって
いつも枯葉を集めてるところの
庭木はやたら勢いがあるというのに。


わたしに、
そこまでの価値は特に見出せないのだけど
それを許容できるくらいの図々しさだけは、
しっかり会得したもようです。


身体の色んなところにガタがきて、
昔みたいに無条件に快適に過ごせなくて、
今だって
坐骨神経痛でお尻に鈍い痛みがあって、
動き出すときはちょっと勇気がいる状況。

動けないほどではないけど、いかにもおばちゃんの歩き方になっております。


何とも情けなく、
何ともわたしらしい。


いつも動きたくない、と思っていたら
ほんとうに動きにくい人になってしまって
ああもっと動いておいたら良かった、
なんて、あとの祭。


あとの祭


ってロゴのTシャツがあったら
思わず買うかもしれないな、
なんて、
ほんまにしょーもないことばかり
頭に浮かんできて、
センチメンタルの秋の欠片もなくて
何だか吹き出しそうになってしまいました。


わたしの秋は、


春のような不安定さはないし、

夏のようなプレッシャーもなくて、


ただ少しだけ


胸の奥とお尻が痛む季節です。

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