勝ち負けの世界の片隅で
幼い頃、お正月に家族でゲームをすることがありました。
トランプやボードゲーム、百人一首、花札なんかもありました。
私の妹は「負けると泣く」というのが定番でしたが、それはわたしには理解しがたい感情でした。
だって、勝ったからといって、何かもらえるわけじゃないし、負けたからといって何か痛いことをされるわけでもないのに。
両親が泣いている妹をなだめている時間も何だか勿体ないし、妹を泣かさないように次のゲームで大人達が手を抜くのもつまらないし、そもそも負けるたびに泣くくらいなら、はなからゲームなんかしなきゃいいのに、と思ったものです。
わたしはだんだんと家族のゲームに参加しなくなりました。我が家はわたしを抜かした3人でゲームを楽しむのがいつのまにか定番となりました。
いつも泣く妹はゲームをやめないのに、泣かないわたしがゲームをしなくなるというのは、何だか矛盾してる気もします。
そういえば、勝負事があんまり好きじゃない子でした。
鬼ごっことか、かけっことか、勝ち負けがある遊びは楽しくなくて、お絵かきとかお人形遊びみたいな勝ち負けのない遊びが楽しかったのです。
運動が得意じゃなかったからかもしれないけど、カードゲーム的な運まかせの勝負事も楽しくなかったから、運動神経だけの問題ではなさそうです。
負けるのが嫌だから争わないという人もいますが、そこまで勝ち負けを気にしたこともなく、負けず嫌いだった覚えもあんまりないんですよね。正直、勝っても嬉しくないし、負けても悔しくない、というか。
それより負けて悔しがる人を見るのが辛かったのでした。
常に心穏やかに平和に過ごしたかったのです。
世の中の人は競争がすきで、勝ち負けを決めるのがすきで、勝つことがすき。
走る速さで順位をつけられて、テストの点で
順位をつけられて、作文や絵や音楽にもコンクールがあって競争の世界が入り込んでくる世界。
自分は戦いに参加したくないのに、気づけば参加させられてることもしばしば。
知らないうちに作文が賞をとってるとか。
テストの総合点を聞いてきて、勝った負けたと一喜一憂する友人がいたり。
楽器が演奏したくて吹奏楽部に入ったら、コンクールに向けて勝つために練習してるとか。
子どもの模試の出来を比べてくるママ友がいたりとか。
何かもう、疲れませんか?
人と比べるな、って論調の文章は本当によく見ますよね。
勿論わたしも基本的に人と比べるのは好きじゃないから、そこに異論はないわけですが。
こんなに他人と比べることの害が認知されているにもかかわらず、世の中は何だかんだ言って勝ち負けの世界が好きな人だらけです。たぶんわたしは少数派。
子どもをスポーツ系のクラブに入れてるお母さんが、試合に負けた時に自分の子が泣かなかったことで「悔しさが足りない」と監督に叱られたって聞いて、心底怖いと思いました。感情まで指導されるって何の全体主義?って。
その監督みたいな人たちは、恐らくわたしみたいな人に対して「やる気のない人」「意欲の欠けた人」という印象を持っているのだろうなあ、と思いました。
たぶんその印象は当たっていて、そもそもスポーツの世界も、その世界で一生懸命頑張ってる人には申し訳ないけど、強くなって勝つってことに、わたしはあんまり価値を感じないんです。ローマのグラディエーター的な何かを彷彿させるというか。(完全に個人的な感覚で、スポーツを愛する方たちを否定する意図はありません。)
その話を聞いた時、負けず嫌いでないことは、場合によっては責められるべき事案だったんだなあと戦慄を覚えました。
いつも心穏やかにいたかった、それだけなんですけどね。
できたら、価値観の違いとか、感情の個人差を受け入れてくれる世界であって欲しいものです。
あなたは、勝ち負けの世界がすきですか?
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