キリギリスの夢

今年、わたし達夫婦は銀婚式を迎えます。
銀婚式は25年、四半世紀とは驚きです。
なのに、子どもは中学生。友人たちは続々と子どもの成人式を済ませているというのに、わたし達はまだ子育て半ばなのです。

不妊治療をしてたのかと思われがちですが、そうではなく、欲しいとも欲しくないとも思っていませんでした。
わたし達はディンクス生活が楽しくて、その生活を手放すことを、ただ先延ばしにしていました。
子どもは結婚して10年以上経ってから、ちょっと油断したときに不意に授かったのです。



ありとキリギリス、というイソップの童話がありますが、わたし達はまさにキリギリスでした。

週の半分くらいは宴会。夫氏と飲むこともあるけど、それぞれ別々の友人と飲むことの方が多かったです。

わたしは古楽マニアで、仕事のあと小ぶりで濃ゆい演奏会に出かけて行ってはそこで遭遇した音楽仲間や顔なじみの演奏家と飲んで帰る、みたいなパターンが日常でした。

終電で真夜中に帰るより、明るい朝に帰宅するのがすきで、週末は朝帰りも常習。武勇伝も沢山あります。道を踏み外したりはしませんが、まあまあ不良主婦です。

金曜日は夫婦別々の宴会のあと、お互い終電を逃して出会ったターミナル駅で、タクシーの列に並ぶのだるいから朝まで夫婦で飲む、みたいなこともたびたび。

遅く起きた休日に急にうなぎが食べたくなって、夫婦でうなぎを食べるだけの目的で新幹線に乗って三島まで行ったりしました。

美味しかったなあ。

お金の使い方も時間の使い方も、何というか贅沢でした。お金持ちから見たらささやかな贅沢だけど、今のわたしから見たらかなりの贅沢。

無駄で役に立たなくて、贅沢な日々。

わたし達は将来のために今をがまんする、ということが全くできない夫婦でした。

ひたすらに享楽的。子どもが生まれるまでは。

子どもが生まれる前と後では生活ががらりと変わりました。基本、妊娠中も授乳中もお酒飲めませんし、やたら健康的な食生活を送るようになって、不良主婦的活動もなくなりました。

あれほど手放し難かった生活を、あっさりと子育てに奪われて、さぞやストレスが溜まるのかと思いきや、案外大丈夫でした。

「子どもは早い方が」という耳タコのアドバイスは高齢出産後「確かにその通りだわ」と実感しましたが、でも後悔もそんなにしてないです。

心穏やかに子育てをしてこられたのは、たっぷりと享楽的な生活を送った後だったからかもしれません。幸せチャージ的な何か。


でたらめで、だらしなくて、ちゃらんぽらんで、とても愛おしい日々。


子育てが終わったら、またそんな生活を送ることを夢見てもいいかな。

毎朝子どものお弁当を作りながら、そんなことを密かに目論んでおります。

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