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昔の家の記憶

結婚して初めて住んだ家は、わたしの実家から徒歩5分ほどのメゾネットのアパートでした。

もともと住んでいた街なら大きく生活を変えずに済むし、土地勘があるし、何より家賃が安いし、という理由で都内の職場まで1時間半もかかるその街に住むことにしたのです。

お互いに実家暮らしだったわたしたちは、暮らしていくために必要なものを何ひとつ持っていなくて、家電から爪切りに至るまでひととおり揃えるだけでも大ごとでしたが、それも良い思い出です。

お互いに仕事が忙しくて、自宅滞在時間は短く、ただ寝るために帰るような家でしたが、新婚のふたりにとっては幸せな場所でした。

実は20年以上前のことで、その家の記憶はだいぶ怪しいのです。というのも、当時の家の写真が一枚もありません。当時はデジカメも携帯もなかったから、旅行やイベントの時以外に写真を撮る習慣がなかったのです。

ところが、唯一鮮明に室内の状況を思い出せる日があります。ある朝の情景です。

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それは結婚して半年ほどの1995年の3月のこと。日曜日と祝日に挟まれた月曜日、わたしは有給休暇だったのでのんびりと過ごす予定でした。

本当は夫も有休を取りたかったようですが、激務で叶わず。仕事が忙しいと、その日はいつもより早い電車で出掛けたのでした。

夫を送り出して、のんびり朝の支度をして、洗濯機を回していたら、つけっぱなしのテレビが何やら事件を報じています。

都内のオフィス街で沢山の人が道路に倒れたり座り込んだりして、ただならぬ雰囲気。

ただ、その都内の風景にとても見覚えがありました。

繰り返し中継が行われる場所のひとつは、夫の職場の目の前だったのです。

─え?

胸がざわざわとします。

頭が働かない中、必死で時計を見ながら計算をするのですが、何度計算しても嫌な結果しか出ません。今朝いつもより早い時間に出掛けた夫が、JRのターミナル駅から地下鉄に乗り換えて、職場の最寄駅に到着する頃と、その事件が起こった時刻とは、殆ど一致していました。

─電話、かけなきゃ。

まだお互い携帯電話を持っていなかった時代、彼は職場の連絡先を置いていてくれました。そのA4の用紙には、彼のフロアの席順と内線、代表と直通が書かれていましたが、妙に詳し過ぎて、頭が混乱しているわたしにはどの番号にかけたらいいのかなかなか分かりません。

ようやく、席順の中に彼の席を見つけ、その部署の直通に電話をするまで、とても長い時間がかかったような気がします。或いは、大した時間ではなかったのかもしれませんが。

それでも電話に出た人に
「いつも主人がお世話になっております。」
と、案外普通に形式的な挨拶をしたのを覚えています。保留の間、窓の外から差し込む光の影を放心して眺めていました。

幸い夫は無事で、電話口にすぐ出てくれました。

職場の外が大変な騒ぎになっていること。
問題の電車の1本前の電車に乗っていたこと。
でも無事だから大丈夫だと、手短に話す声を聞いて、わたしはようやく少しずつ冷静さを取り戻してゆきました。

電話を置いて、落ち着きは取り戻したものの、まだ頭はあまり働かなくて、しばらく壁を眺めていた記憶があります。

そして、都内の混乱を伝え続ける報道に再び気が付いて、夫の実家に無事を知らせる連絡をしました。そのあと実母と電話で少し長めに話しながら、ぼんやりと見ていた部屋の様子を覚えています。

夫によると、たった1本電車が早かっただけだということ。
ラッシュ時の都営地下鉄、その1本の時間の差はほんの数分です。

安堵と共に、夫が当事者になったかもしれなかったという恐ろしさも黒い雲みたいに心を覆ってきて、手放しで喜ぶことは到底できませんでした。

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新婚で初めて住んだ家。
おままごとのような暮らし。

でも、その家を思い出すときには、あの朝の出来事が一緒に蘇ってきます。

電話付近の風景、コンセント、テレビの位置、反対側の壁、窓から差し込む日の光、雑然としたテーブルの上。全部、あの朝のものです。

楽しくて、幸せだった筈の当時の情景が、20年以上経過したら、幸せな時間の方が淘汰されてしまって、あの朝見たものばかりになってしまいました。

たぶん、相当怖かったのだと思います。

思い出って、脳内で都合よく変換されて、美化されるものだと思っていました。
でも、美化できない記憶の方が脳内にこびり付いて、自分ではどうにもならないということもあるようです。

人生は儚くて、数限りない偶然と、危ういバランスの上に成り立っていて、今家族がここに居ることも奇跡に近いのだということを、知った日。

初めて住んだ家の記憶は、その日の記憶です。

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