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白い午後の目眩

あちら側に行ってみたくなりました。

若い頃から、”消えちゃいたい”と漠然と思うことはよくありました。臆病だから自殺したいと思ったことはなかった筈だけど。

でもそういう気持ちとは明らかに異質なものとして、すっかり大人になってからそれは突然降ってきたのです。

あちら側に行ってしまいたい。

ふと気付いたのです。
ココロのバランスを常に保ってることが辛い、と。

辛くても笑うことのできるタイプだし、人前では取り乱して涙を見せるということもありません。
怒るときは相手を追い詰めないようにわざとすこし焦点をはずしたりもします。
昔からそういうことはごく自然に行っていました。
だけど、どうもそういうのが面倒になって、なんか辛い、と思ってしまったのです。
とはいえ、それはわたしにとっての自然体の状態なので、それをしないのはもっと負担だったりします。

いっそあちら側に行ってしまえたら、楽そうだな。

それは、何だかとても甘美な誘惑でした。

そんなとき、たぶんあちら側はうんと近いところにあって、ほんのちょっとした拍子に飛び越えられるような気もするのです。

すこしだけバランスを崩してやれば、もともと頼りないわたしのやじろべえを倒してしまうことくらい、簡単にできそうだと思えてきます。

行ってみる?楽そうだよ。

そうそう、ちょっと芸術家っぽいってのも悪くないし。

確かにそんなに遠いところではなさそうだ。行けるよ。行っちゃおう。


でも、わたしときたらそんな時にもすごく小心です。
こちら側での生活、いままで生きてきたたかだか数十年の時間、ささやかな思い出、そんなのが邪魔をしてきます。

そして実際のところ、あちら側に行きたくても、そのほんのすこしのバランスの崩しかたがわからないのです。
わたしのやじろべえはいつになく激しく揺れていたけれど、どうしても倒れてはくれませんでした。

それは、初夏の風が気持ちよくて、一番好きな季節でした。居たたまれないほどの生命力に包まれて、わたしは切なさでいっぱいになっていました。

やじろべえはなお勢いよく揺れていて、なんだか目眩みたいにくらくらしてしまう。

眩しすぎる初夏の白い午後のお話です。

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