自分のことなのに分からないこと
小さい頃から自分が何が好きで、何が心地良いのかを疎かにせずきちんと把握してきた、と思っていました。
例えば音楽だったら、とても明確に好きなものがあります。これを聴いたらちゃんと魂が喜ぶ、というのがどんな種類のものか知っています。
同様に、どんな小説が好きか、どんな文章が好きか、どんな詩が好きか、音楽ほど明確ではないけど、大体分かります。
どんなお店で何を食べたいか、どんな喫茶店が好きか、自分にとって居心地の良い場所は何処か、どんな人と仲良くすれば楽しいのかも大体わかります。時々は勘違いもあるけれど。
ところが、全くわからないことがあります。
本当は何が着たいのか。
ということ。
わたしは若い頃から着るものが凄く限られていたんですよね。
コンプレックスの話と関連するのだけど、胸が大きかったのです。
ないよりはあった方が、と云われたりしますが、程度問題だと思うんです。過ぎたるは、です。
Fカップ以上の人には共感してもらえると思うんですが、既製品は何を着てもシルエットが変。何なら水着が一番マシで、何かを着れば着るほど田舎くさくスタイリッシュから遠ざかる感じ。何故か頭まで悪そうに見えてきます。
まず、物理的に胸が入る服が少ないし、その中で胸が強調されず、太って見えない服はさらに少ない、予算も限られる中、ある程度お洒落に気を使う歳になったときから、常に胸との妥協案で服を買ってきました。
中年太りが始まって、全体が丸くなってきた頃、普通ならダイエットを考えるのでしょうが、わたしは胸が目立たなくなることが嬉しくて密かに歓迎したくらい。
いまはただの太ったおばちゃんになって、ますます何も似合わないのですが、最近ふと思うのです。
胸のサイズに問題がなかったとしたら、
わたし本当はどんな服が着たかったんだろう、と。
服装=TPO、という図式も刷り込まれていて、職場に行くにはこれ、PTAに行くならこれ、運動会ならこれ、というその場に馴染む服装ばかり考えていて、これまでわたしは胸と予算とTPOでしか服を選んできませんでした。
ちなみに家着で重視するのは着心地なので、締め付けずに楽なことと、肌触りが優先されていて、本当に着たいデザインなのか、したいファッションなのか、と云われるとかなり微妙です。
ああ、わたしはこれを着たい、という自我がひとつもないな、と悲しくなります。
若い時から服を選ぶときに消去法でしか選んだことがないんですよね。
ファッションに対して憧れを持ったことがそもそもないのかもしれません。
着れるかどうかは別として、着たい服くらいあっていい筈なのに、それがないなんて、、
これって、重症じゃないですか?
自分自身でもちょっと怖くなります。
その服を着たら魂が喜ぶ、みたいな服はないものかしら。
わたしにとっての特定の音楽がそうであるように、もし魂が喜ぶのなら、もう誰にも分かってもらえなくても構わないので、それを着てみたいと思うのに。
でも。ほんとうに分かりません。
何が着たいのかも分からないまま、このまま老いていっていいんだろうか。
全身ピンクを纏って幸せそうに歩く、一見奇抜なおばあさんは、きっと明確に自分の着たい服が分かっている人なんだろうな。
ピンクが着たい訳じゃないけど、何だかとても羨ましく思いました。
とりあえず諦めずに、時々は着たい服のことを考えてみよう、と思う秋の日です。
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