罪の意識

おはようございます。
朝から雲がどんより厚く立ち込めて雨風吹き荒んでいる。

こんなにも自分の心境にあった天気もないだろう。
日曜日教会でご高齢の方と接触して転倒・骨折させてしまったことに関して、昨夜牧師先生からご連絡がありお話をした。

そもそも牧師先生は事実として転倒して骨折されたことはご存じだったけれど、経緯をご存じなかったので事の始終をお話した。直接状況を把握されている方がいなかったのか時系列でお伝えしたところ、状況を理解してくださって最後に昨日時点での状況をお知らせくださった。

診断はただの「骨折」ではなく「複雑骨折」だったこと。
礼拝堂に居合わせた引退されたお医者様が救急車の搬送先だけでなく、怪我をされた方のお家の近くの病院もご紹介してくださったこと。
そこで今週金曜日に手術をなさること。
お嬢さんが水曜日からお仕事を休まれてお母様に寄り添ってご対応くださること。

聞けば聞くほど、多大なご迷惑をおかけしてしまって申し訳なく、それに対して自分が回復するために出来る事の無さに不甲斐ないというか情けない気持ちになる。

複雑骨折は完治するのに半年から場合によっては年単位でかかるものらしい。手術されるということでボルトを入れて固定をされて経緯を見守ることになるだろうが骨が固定されるまで最初は特に安静が求められる。ご高齢の方がそうなった場合年齢的なものに加えて、より筋力の低下が著しくなるであろうことが容易に想像できる。

今回のことを客観的に見れば、一つの事故であり僕はその加害者ということになる。倒れられたご本人にもお嬢様にも周りの方々にも「気にしない様に」とか「気にし過ぎない様に」と言葉をかけていただいて慰められその言葉に甘えても、その事実は変わりようがない。悪意がなかったとしても相手が怪我をしてしまった以上は、交通事故と同様でそこには責任が生じる。そのことに今更ながら気がつくと顔見知り同士での接触による怪我ではなくて、れっきとした事故として認識して怪我をされた方に臨むべきなのだと意識を新たにした。
漠然と申し訳なくて、でもどうしたら良いかわからず悶々としていたところから、少しは自分の状況がクリアになったことは一歩前進。だけどその事実を受け入れるには覚悟が求められる。

まずはお怪我をされた方に直接お話しするのは今のところ難しそうなので落ち着かれるまではお嬢様に牧師先生から伺った旨と共に改めて深謝を伝えよう。そして今回サポートをしてくださった方々にもお礼を伝えるところから始めよう。

一日にも早く治られますように。

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