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西ドイツの陶器: 歴史【ライフワーク】
おはようございます。
今日はしっとりとした曇りの一日みたい。
今日からは、西ドイツ時代の陶器に関して、その起こりを見ていきたい
第二次世界大戦の敗戦から
みなさんご存知の通り、ドイツはナチス統治の元国境を拡大しましたが第二次世界大戦で敗れ、敗戦直後の1945年にはアメリカ、当時のソビエト、イギリス、フランスの4カ国に分けて占領されました。この4年後に資本主義の西ドイツとソビエトの影響を強く受けた東ドイツとに分断されました。文字通り国を二つに分けた象徴が、かの有名なベルリンの壁ですね。
敗戦国として復興を目指す西ドイツで、 1950 年代から 1970 年代の全盛期には 100 を超える陶器や磁器の会社や陶芸工房が積極的に芸術陶器(Art Pottery)を生産していました。
『West German Art Pottery』とは基本的に 1949 年から1990 年代まで陶器を表す用語であり、形状とサイズなどを示す数字とともに原産国が素地に刻印されることが多かったため、これらを総称する名前として使われる様になりました。現在ではいくつものファクトリーがよく知られており、多くの作品が特定のファクトリーのものであるにもかかわらず、より一般的な『West German Art Pottery』という用語が依然として一般的に使用されています。
そして、『FAT LAVA』は厳密には特定の釉薬を使用した、小さなカテゴリーを指す用語ですが、この西ドイツの陶器の同義語として使用されることが非常に多い、というのが現状。ここがまさに、僕が自分のアカウントに『FAT LAVA』というワードを使わず、あくまで『Pottery』とした所以です。
主な作品は、日本の焼き物のように食器ではなく、花瓶、水差し、ボウルなどの装飾品に集中していました。さまざまな形状をした素朴な粘土の本体に、多様な釉薬を使って複雑に色が溶け合った、厚みのある装飾が施されています。
ボディには計算されたパターンや装飾が刻まれることもありましたが、釉薬は正確に色付けことは少なく、上から流し付けたり刷毛で塗ったりすることがほとんど。
また、底には「W. Germany」、モデル番号または高さ(cm)とに刻印されていることが多い。ファクトリーや製造者の名前が作品の本体に目立つように貼られたステッカーに記載されていることもあり、現在でもそのステッカーが付いているものを見かけることがあります。
『West German Art Pottery』は、その多種多様な形と表現力豊かな色彩でよく知られている。 Scheurich、Ruscha、Steuler、Jasba、Dümler & Breidenなど名の知れたファクトリーが多くありながら、1970 年代初頭に生産が減速し始める。その芸術的価値が広く認められたのはそのずっと後、1990年代以降になってからというのはいささか残念ながら、だからこそその当時の熱気を残す『West German Art Pottery』やその当時にの焼き物の素晴らしさを広く伝えていけたら嬉しい。
僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。
皆様も、良い一日を。