フィンランドの教育プログラムで感じた「教育」「自分らしさ」「幸せ」について
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教育と自然がテーマの教育プログラムに参加すべく、先月末にフィンランドに行ってきました。
フィランドは、人生に1度は行きたいと思っていた国のひとつだったから、彼にプログラムを教えてもらったときはもちろん、「行きたい!」と思って。8月末はちょうど仕事で大事な時期だからとしばらく悩みましたが、ここで守りに入ったらきっと後悔すると思って、思い切って参加を決めました。
楽しいことも悔しいことも、自分の嫌なところも、今後の決意も。色んなことを感じたフィンランドでの時間。本当に、本当に、行ってよかったです。
プログラムのハイライト
1日1日が濃すぎて、それぞれのレポートを書くとキリがなさそうだし、今は何より、私がフィンランドでの5日間で感じたことと今後のことを書き残したい気持ちが強いので、それを筆が進むままに書こうと思います。
『教育』について
フィンランドは環境が整っている側面もあるし、個を尊重する価値観を幼少期から共有しているし、素晴らしいところもたくさんありました。
でも、「日本人とフィンランドに住む人の違いは意外とないんだな」と私は思ったんです。これは、実際に街中でインタビューをしたり小学校と高校に足を運んで現地の方と直接触れたからこそ感じたのですが、フィンランドの学生でも、将来に悩んでいたりそもそも将来のことを考えていなかったり、つまらなそうに授業を受けている人やパソコンでネットサーフィンしている人もいるんですよね。逆に言うと、日本には将来のやりたいことに向かって邁進している学生もいるわけで。
元々の人間のポテンシャルやスキルには大きな差はなくて、そのポテンシャルを開花できるような人間関係、環境、仕組みを享受できるか、教育に本気で向き合い行動する大人たちがどれくらいいるかどうか、こそが大事だと感じたんですよね。
だからこそ、子どもへの教育はもちろん、子どもの周りにいる両親や先生方へのケアも大切だと思ったし、その包括的な仕組みを夢物語ではなく現実的に実装するために、ひとりの社会人として何ができるかを常に考えながら、日々の仕事に取り組もうと心から思いました。
私自身は、ケニアに訪問したときも同じように感じたけれど、直接ひとりひとりと関わるよりも、仕組みで解決することに寄与したい。
その一歩として、次のアクションとして、共同開発している手帳『pure life diary』のメソッドをフィンランドに広げようと決断しました。
フィンランドは幸福度1位と言われている一方で、冬は日照時間が短く雪深くなり、家で過ごす時間が多くなります。そんな期間も楽しく心地よく過ごす処世術はきっといくつもあるけれど、鬱になる人も多いそうです。
自分を内観するワークブックも人気だと聞き実際に書店も見に行ってみたのですが、内省的で陰の雰囲気をまとうフィンランドで、自分にとっての幸せとは?自分はどうありたい?を考え変化していく『pure life diary』が何かお役に立てるんじゃないかと、ありありと感じたんですよね。
具体的な道筋はまだ見えてないけれど、チームで力を合わせて、世界展開、やってみせます!
『私らしさ』と『アイデンティティ』について
慣れない場所で知らない人たち大勢と寝食を共にする。"苦手なことランキング堂々の上位"に入るこの体験を、今回久しぶりに自ら選んで飛び込みました。
知人2人と一緒の参加だったからどうにかなるさと最初のうちは呑気だったけれど、本当に辛かったw何なら、DAY0ですでに心が折れかけましたw
今回は旅行ではなく研修なわけで、プログラムそのものは素晴らしかったし誰が悪いとかではなくって、ただただ、刺激のキャパシティが小さい「内向型」(コミュ障や内気、という意味ではない)という気質を持つ私にとっては、そのすべてが刺激過多でした。
だからこそ、オンラインの事前研修のときには分からなかったけれど、私と似ているタイプの参加者メンバーも意外と多いことも徐々に感じるようになりました。
感じたことや学んだことの整理が追いついていない人。受け取ることに精いっぱいで、本当はもっと時間が欲しいと思っている人。そんな中でも今できる限りのことを一生懸命アウトプットしている人。僭越ながら、得ることがたくさんあるからこその悩みや苦しみを抱えているのは私だけじゃないと思ったから、少しシビアな空気になったときに勇気を出して発言しました。
「私はじっくり考える時間が欲しいタイプだから、これから自由時間をとってもらえるのはすごく嬉しいです。ありがとうございます。」
プログラムの合間にそっと近くに来て「ゆかりさんの自己紹介に共感してもっと話したいと思って」「考え方とか素敵だなと思いました」と声をかけてくれた子の儚いけど真剣な眼差し。「"らしさを活かす"というモットーが刺さりました」と自分らしさを開花させて楽しそうに笑う顔。
私は自ら話しかけに行かないからこそ、こうして声をかけてもらえるのはありがたかったし、散々自分の性格や気質に悩んできた経験が、こうして誰かの役に立てていることを肌で感じられたのは、素直に嬉しかったです。こちらこそ、ありがとう。
5年前のこと、忘れてたけど思い出しました。
「私は私でしかいられない。内向型を直さず活かそう。」と(いい意味で)諦めたんだった。
苦手なことはやっぱり苦手で、自分のペースを保ちたいし、ひとりの時間がないと死んでしまうし、咀嚼する時間はマスト。何考えてるか分からないって思われがちだけど、頭の中は常に何かを考え続けてて忙しい。
ヘルシンキ空港に着いてまず最初に「名札に「私は〇〇だ」を自由に書いて〜」とお題を出されて、私は控えめな文字で「内向型」と書きました。趣味も特技もキャッチーな肩書きもない…消去法で仕方なく。だから、他の人に見られたくなくて、名札が裏返らないように気にしながら過ごしていました、実は。
それから5日が経った最終日の最終発表。やっぱり大勢の前で話すのは苦手だなぁ、声が震えるなぁ、と思いながらも絶対に伝えようと思っていた「内向型」という言葉。制限時間をすぐに越えてしまって言いたいこと全部は言えなかったけれど、久しぶりに自ら進んで発信しました。
新しい何かを身につけたくなって、自分にないものを持っている人になりたい気持ちに苛まれる瞬間が訪れて、仕事で失敗するたびに自分の不出来に飽き飽きして、「自分らしさって何だろう」「自分の強みって何だろう」と最近また迷子になっていたけれど、私は私のことをすでに知っていたんですね。プログラムを通じて、共に過ごしたメンバーのみんなとの関わりを通じて、答え合わせができたのかもしれません。
バラバラだったピースがカチッとはまった感覚を感じたのと同時に、強く殴られたような、そんな気持ちで日本に帰国しました。
自分に心底幻滅したんです。
5年前、私は内向型コンサルタントという肩書きで活動を始めて、同じ気質で悩んでいる人に向けた情報発信や講座の主催、カウンセリングセッションなどを生業にしていました。
それは私が心からやりたいと思ったことで、当時はとにかくがむしゃらだったのですが、数年が経つ頃には迷いが出てきました。「内向型」「外向型」と区切ることは客観的に自分を知ることができる一方で、「私は内向型だから」と決めつけや思い込みを誘発して、自分の可能性を狭めることになってしまうのではないか、と思うようになって、発信することが億劫になってしまったんです。
正直に言うと、ある程度やると飽きてしまう性分ゆえに、インスタのフォロワー数が1万人を超えたり本の出版も叶えられたときに、自分の中で"まあまあやり切った感"を感じたことも、内向型コンサルタントの活動の意欲を低下させる大きな要因でした。
いつしか、私自身が「内向型」と言う言葉を使うことが嫌になってしまって、周りから自分のアイデンティティをそう捉えられるのも喜べなくなりました。
でも、大きな大きな勘違いをしていました。
私が過去にやってきたことは、1%も結果を出せていない。1%も社会に影響を与えられていない。
そのことをまざまざと思い知らされました。
今回プログラムで関わった人たちの中で、「内向型」の意味を知っている人は決して多くありません。初めて聞いた人もいるかもしれないし、単純にネガティブな意味として捉えている人もいるかもしれない。
いずれにしても、内向型という気質を知識としてきちんと知って受け入れる機会や環境があったなら、もっと早い段階でモヤモヤから解放されて自分らしさを開花できたかもしれない。外向型と内向型の相互理解を土台に、よりよい場所がもっと生まれたかもしれない。
そんな思いがどんどん強くなっていって、私は今まで何をやってたんだろうと、呆然としました。
自分はまだ何も成し遂げてない。じゃあ、これからどうする?
まずは、内向型についてアカデミックに学びたいと思っています。今までは本やネットの情報を参考にしていた部分が大きいから、今度は一次情報に触れて、ふんわりとしたイメージじゃなくて、事実や理論も武器にして、広く認知させて仕組みを変化できるような何かに取り組みたいです。まだやりたいことは具体的じゃないですが、それこそ研究するのもおもしろそうだなと。
今の働き方も本気で見直して、本当に自分がやるべきことに時間やパワーを使えるよう、急いで手放して整えていきます。
▼【後日談】新刊の出版を叶えました…!
『幸せ』について
フィンランドは「個が尊重される」という印象が強く残りました。
意思決定と意思表示が求められるということ。決して甘やかされるわけではなく、責任が伴う厳しい価値観。人生、周りに合わせて流されて迎合していくことの方がラクだったりもしますからね。
フィンランドの給食はビュッフェスタイルで、自分で食べる量を決めて個々で取るスタイル。列に並ぶ小学生を横目にポテトをほおばりながら、「自由と責任って何だろう」「幸せって何だろう」とぼんやり考えたりもしました。
自分にとっての幸せは何なのか。それをより鮮明に言語化したい、というのも今回の研修の目的のひとつでした。
バシッとこれだと結論は出なかったけれど、今思う幸せのエッセンスを言葉に残しておくことにします。
太陽の光や冷たい雨、森の緑のグラデーションや薪の匂い。
フリーランスになって初めて、2日間パソコンの充電0%の状態を過ごしたキャンプ体験の時間は、デジタルから離れられたおかげでふわっと頭が軽くなりました。黒いモヤが晴れた、そんな感覚です。
端末の中や画面越しではなくて、今目の前に起きていることや人に一生懸命な状態。やるべきことばかりに追われて焦って視野が狭くなるのは苦しいけれど、そうじゃなくて、今を五感でめいいっぱい感じることは心の余裕であり豊かさなんですね。
マインドフルネスという言葉はもちろん知っていたけれど、これだけ身に染みて感じる瞬間は今まであんまりなかったんじゃないかな。
デジタルデバイスなしに生きることはもはやできないけれど、"デジタルデトックス"は私にとって幸せのキーワードのひとつです。
それから、色んな形の幸せをフィンランドでも感じていたけれど、日本に帰ってきてからもまた別の幸せを感じました。ごはんを食べるたび「日本食最高だわ」連発だったし、ゆっくりお風呂に浸かって「やっぱ自分の家って落ち着く〜」と脱力したし。
でもやっぱり、だんだん今の幸せに慣れていくものだなぁと。おいしい地元のうどんも、コンビニの明かりも、糸島の田舎風景も、もうすっかり当たり前の日常になってしまいました。
当たり前を当たり前と思わない感謝の気持ちを持ちたくても、鮮度高く持ち続けるのはとっても難しい。だからこそ、今もうある幸せを何度でも感じ直すために、"刺激"や"変化"は定期的に取り入れたい。
「刺激と平穏」「日常と非日常」のバランスを取ること、そのどちらの世界もめいいっぱい感じることが、幸せなのかなって思っています。