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誰にも侵されない幸福を守る
いつも通りダラダラとインスタグラムをスワイプしていたら、急にマツコ会議の動画が流れてきました。今オーディション番組で話題のちゃんみなさんを相手にマツコ・デラックスさんが幸せって何なのか、というテーマについて話をしている動画。
結婚・出産・お金・美、こういったもので幸せを判断するのを「違う」と思いながらも、やはり万人が共通で認識できるわかりやすい指標ではある。なのでSNSで語られるのもこういった指標を元にした幸せ。けれど、マツコさんは他者を介在させない自分であることが幸せにつながる、と考えている。簡単に説明すると、そういう動画でした。
まさに今自分が大切にしなければ、と感じていることと重なり、思わず動画を保存した先日でした。
私は28歳の頃に結婚しまして、32歳の時に第一子を出産しました。夫とも良好な関係だし、娘は可愛い。結婚前に自分の音楽教室を立ち上げ、結婚後、また出産後にステップアップするような形で音楽教室を拡大してきました。お金持ちでは全くもってないけれど、自分たちの生活の糧を得るための手段も今はちゃんと持っているし、仕事はやりがいに溢れています。特段美人ではないけれど、そのことをあまり思い悩んでいるわけでもないです。
「わかりやすい幸せの指標」ではかっても、私はきっと「幸せ」な部類なのかな、と思います。
それでもまわりを見渡せば、私よりもはるかにお金持ちで、美しく、家族や友達に恵まれた人はたくさんいます。しかしながら、その人たちと比べて私の幸せは劣るのか?
そもそもその人が幸せかどうか?
それは私には知り得ないことだし、知る必要もないことです。
きっと幸せな人もいれば、幸せでない人もいるんでしょう。
今年の私のテーマは「独」。
一人でどこにでも行きたいし、一人で遊びたい。他の誰でもなく、私自身と遊びたい……こんなテーマを打ち立てております。
例えば私と遊びたい!と言ってくれる人が仮に誰もいなくても、誰も私に共感してくれなくても、私が私自身と分かり合って、話し合って、私自身と楽しめるようになりたい、というイメージ。どこまでも自分本位に。私が主役。
自分を大切にするということはそういうことじゃないかと。だからこそ誰かといる瞬間を、すごく貴重にも感じる……私の中に他の誰かが介在しないからこそ、誰かと手を繋げることの豊かさやかけがえのなさにも気付けるような気がしています。
仮に、誰かに評価されなくても、誰かに必要とされなくても、私は私を評価しているし、私が必要。これが幸せってことかもしれません。
同時に、いやいや、それってすでに十分恵まれていて幸せだから言えるんじゃないの?という気もしたり。
でも鶏と卵じゃないけど、誰かに評価されなくてもいいやと思ってると、予想外に評価をいただくこともありますしね。これって棚から牡丹餅的なことで、この牡丹餅を追いかけて生きてないから、牡丹餅が落ちてくるんじゃないのとも思うわけです。
もちろん、ここに関しては色んな意見があるし考え方があるだろうな。
そしてつい先日、朝音楽を聴いていて不意に流れてきたのが宇多田ヒカルさんの「気分じゃないの」という曲。以前からこのアルバムをサブスクで聴いていたけれど、その日は急に歌詞が耳に留まりました。
杖を片手にかけて
タバコに火をつけてる老女を横目に
スコッチを呑んで作詞しているとそこへ
クリアファイルを抱えた人がやってきて
こう言った
「私のポエム買ってくれませんか?
今夜シェルターに泊まるためのお金が
必要なんです。」
ロエベの財布から出したお札で
買った詩を読んだ
Oh
Rain, rain, go away
Fall on me another day
Oh
Rain, rain, go away
I'm not in the mood today
Oh
雨、雨、どっかいけ
また今度にして
Oh
雨、雨、どっかいけ
今日は気分じゃないの
すごい描写だな、と息を呑むような気分でした。
今夜シェルターに泊まるお金もなく見知らぬ人にポエムを売り歩く人、それをロエベの財布から出したお札で買って読む人。
きっとそれを傍から見たら、不幸な人と幸福な人に見えるんだろうけど、きっとどちらの人の心にも雨は降るし、雨よ今日は降らないで、と思うことはあるはず。
以前こういう記事を書いたんですが、それぞれに別の地獄、苦悩があるように、それぞれに別の幸せがあるはずだと思います。この歌に出てくる二人の描かれ方は対照的だけど、それぞれの幸福・苦悩は比べようがないはずなんです。
私の幸せにあなたは介在しない。あなたの幸せに私は介在しない。
私が幸せだからって、あなたが不幸なわけじゃない。あなたが幸せだからって、私が不幸なわけじゃない。
こんな単純な事実が、SNSだとか、競争社会の中で、霞んでしまうのは本当に悲しいことです。別に、SNSや競争が悪いわけじゃないと思いますけどね。それとこれを、切り離せないことが、悲しい。
他者を介在させない、って究極はものすごい孤独なことだとは思うんです。でも絶対に誰にも何にも侵されない、自分だけの幸福というのは、その孤独の先にこそあるんだと思います。
改めて、他者が介在しない自分を守り抜く、大切にする、ということを考える年頃です。