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もう、いないあなたへ。


あなたに会ったのは
長女を出産してすぐのことだった。


そう。すぐのこと。

何故ならば、
出産した病院の大部屋で

私の向かいのベッドに
あなたがいたから。


結構、年上かな?

よく笑って声が大きい。
「人」に興味があって
声をかけることに躊躇しない。

「明るくて人見知りしない」というのは
あなたみたいな人のことを言うのだと思った。


「ママ友」って言葉がある。

核家族の多いこの地域で
ママ友を作ることは
ある意味容易に感じられた。

要は、
皆んな知り合いがいないから
「誰かと繋がりたい」と思っているからだ。

それ以上に
「子育てによる孤独」から
自分を守りたいという
意識的とも無意識的とも思える
防衛本能のようなものがあった気がする。


私自身、
出産する前に数人の知り合いを作り

出産後、
徐々に「ママ友」を作らないといけないと
やはり与えられた義務のように考えていたが

そんな意気込みや
気負いなど必要なくなったのだ。

私の向かいのベッドに
あなたがいたから。


あなたがいた。
あなたといた。


疎遠になっていた

でも近くに住んでいる
あの頃の「ママ友」の一人から

あなたの訃報が届いたのは
昨年の秋の夜だった。


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あれから一年が過ぎて
あの頃の「ママ友」たちとも会った。

子供たちは
来年二十歳になる。

あの頃の私たちが笑った季節を思うと
公園の草のにおい
昼間のお日様が包む空気
松葉をいくつも握っていた小さな手

そんな光景が目に浮かぶのだ。


「もっと、生きたかったよね。」


病気がわかって
愛する家族との限られた時間を
どんな思いで過ごしていたの?



私もあなたみたいに
死ねるだろうか。


公園のてっぺんの高台で
秋の風を感じていたら

私の向かいのベッドで
笑っていたあなたを思い出した。


「そうだね。とにかく生きるね。」


もう、いない
あなたを思って訪れた公園は


あの頃と同じようで
まったく違っていた。

暖かい日差しと
枝葉の影は変わらないまま
そこにあるのに

あの頃にはなかったスマホに
「2019年」という文字を見たからだ。


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