エセポジという媚薬に注意:本当の自分に気づく100日チャレンジ68日目
あっという間に
一日が終わり
一年が過ぎ
で、本当にいいの?
50代という折り返し地点にいる私が
本当の自分、人生の目的に気づくために
残りの時間が100日しかなかったら、という前提ならば何をどう選択していくかという「自分実験」100日チャレンジの記録を綴っています。
★67日目の記事はこちらからお読みください。
100日チャレンジー68日目
68日目にしたこと
エセポジで本音を隠す
ポジティブが良いとずっと思い込んできた。
ネガティブな出来事も、ポジティブに捉えることが習慣になっている。
そんなエセポジな私は、周囲の人からポジティブに捉えられることがスゴイと言われてきた。
しかし、それが私の自己受容を妨げ、長く苦しい時間を増やすことになっていた。
なぜなら、エセポジになることで私は自分が感じたくない感情から離れることができるからだ。
68日目の気づき
エセポジという媚薬に注意
自己受容とは、自分のありのままの感情をジャッジもせずにうけいれることで、ポジティブでなければもないし、ネガティブがだめもない。
しかし、世間一般的にはポジティブであることが良いとされている。
だから、私はエセポジになることでイイ人だと周りから思われたかったのだ。無意識のうちに。
そして、エセポジになることで周りからの評価を受け私は自分が素晴らしいと勘違いをする。すると妄想が働き、きっといつかはミラクルが起きるはず!だってポジティブに物事を捉えてるんだもん!と思い込んでしまう。
ところが、そうしなければならないという本音に潜んでいるのは、ネガティブな怖れや不安。それが現実を創造していく。
エセポジは現実逃避できる媚薬だった。
68日目の振り返り
人生を楽しむの解釈
楽しい!るんるん♪という解釈をしてきた私。
ところが、人生を楽しむというのは喜怒哀楽どんな出来事もそのときに沸き上がる感情をそのまま受け入れていく自己受容だったんだと気づいた。
ツラい時はツライ、泣きたい時は泣く、笑いたい時は大声で笑い、踊りたい時はくるくる舞う、大人であろうとそうして自分の湧き出る感情を受けとめアウトプットしていくのが楽しむってことだった。
こんなところで泣いちゃいけない、これくらいでツライなんて思っちゃいけない、そうして自分の気持ちを抑え込んでいて楽しいわけなんてないのだ!
エセポジ要注意!!
今日も一日ありがとう。
明日に続く。