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「目的」と「結果」を分けると幸せを感じやすくなる

すべての人は幸福を求める

幸せになりたいと誰もが思っているはずです。

言い方を変えれば、誰も不幸にはなりたくないはずです。

ところが、「幸せですか?」と尋ねてみると、「いや、それほどでも」「もう、大変なのよ」と答えが返ってくる。

それは、謙遜してなのか、照れ隠しなのでしょうか?

それ以前に、幸せであることを謙遜あるいは照れ隠しする必要があるのでしょうか?

幸せになりたい!のに、いつも何かが満たされていない。
誰かに褒められても、そんなおだてには乗らないぞ。といつもモヤモヤしていた私が、今ここの幸せを感じることができるようになった「考え方」について書いていきます。

「幸せ」とは、一体なんでしょうか?

幸せになりたい!と思っているとき、どういう状態を望んでいるのでしょうか?

私たちは、子供の頃から、進学、就職、結婚、家を購入、旅行などの行動は、「幸せになりたい」「こうしたら幸せになれる」と思ってすることが多いと思います。

首尾よく、希望の学校、会社、職業、パートナー、家、旅行を手に入れることができました。

きっと、そういう方も、多くいらっしゃると思います。

しかし、手に入ってしばらくの間はよろこんでいても、そのうち、「あそこがダメだ、あれはヒドイ」と喜ばしくないことが目について、不平不満が言葉や態度に出てしまう人も多くいらっしゃると思います。

どうしてそうなるのでしょうか?

すべての行動には「目的」がある

(アルフレッド・アドラー)

私たちが行動するには、「目的」があるとアドラーは言います。

しかし、「目的」と「結果」を混同しがちではないでしょうか?
そこで、これらを分けてみていこうと思います。

「目的」と「結果」を意識してみる

例えば、旅行に出かけるとします。

旅に出る「目的」は、何でしょうか?
一人でのんびりする、あの乗り物に乗りたい、誰かに会いに行く・・・
美味しい蕎麦を食べる、街並みを散策する、体験するなどがあるでしょう。

では、「結果」はどうなるでしょうか?
他の旅行客も多くてのんびりとはいかなかった
お蕎麦は思ったものではなかった
街並みも建物も素晴らしかった
と、期待どおりのことも、そうでないことも出てくるでしょう。
わざわざ行かなくても、テレビ越しで十分だったと思うかもしれません。

すなわち、「目的」と「結果」には、大きな違いがあります。

「目的」は自分でコントロールできる、一方「結果」は他人の影響を受けるのでコントロールできないということです。

わたしは“結果”だけを求めてはいない。“結果”だけを求めていると、
人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない。
やる気も次第に失せていく

ジョジョの奇妙な冒険第59巻 殉職した警官

行動は「目的」に沿っている

私たちが行動するのは、何か目的があるからです。

今回の旅行の目的が、”一人でのんびりする”あれば、それを考えている時点からすでに旅行が始まっているとも言われます。

”一人でのんびりする”を楽しんでいるから、休憩に立ち寄ったカフェで地元のオーナーさんとの会話が心地よく、よい情報収集ができ、一期一会を楽しめるかもしれません。

イメージと違ったら、他の町に今度は行ってみよう。あるいは、季節を変えてみようと思うかもしれません。

すると、今回の旅行が良かった、悪かったという判断にはならず、ただそれを体験した。になってくるはずです。

では、「結果」はどう捉えれば良いのでしょうか?
今回の旅で言えば、「結果」は目的地に出向くということです。
つぎに、これについてみていこうと思います。

「結果」は通過点と捉えてみる

「結果」を最終地点と考えると、私たちの脳はそれに判断しようとします。
いわゆる、良かった、悪かったです。
そして、新たな基準が脳にできあがるのですが、ココが良い!と他の旅先を真新しく見るのではなくココと比較する可能性があります。

ディズニー哲学「競争相手となるのはすべての会社」
顧客は、対応に満足する企業と比較し、どちらかには不満を持つ

ディズニーの7つの法則

また、良かったという判断をしても、数日するとサラっと記憶を流してしまう一方、悪かったという判断をしてしまうと、時間が経っても、折にふれ、好ましくない場面が思い出され嫌な気分になったり、行って損したとネガティブなことばかりが、脳で再生され勝手なおしゃべりが始まります。

そうなると、幸せとは逆の気分になってくるのはご想像いただけると思います。

だから、「結果」は「目的」に向かうためのただの通過点と捉えてみましょう。

「結果」重視で教育を受けてきた昭和世代の方ですと、「目的」に向かうためのただの通過点というのが、ピンと来ないかもしれません。

そこで、自然との関りを通して、それについてみていこうと思います。

「目的」を意識しやすい自然との関り


例えば、家の庭に柿の木を植えようということになりました。

その「目的」は、
・美味しい柿を食べたい
・実り(金)は縁起物だ
など、その家によって異なるでしょう。

この「目的」のために植えた場合、渋柿であっても干し柿にしよう!
食べれない柿でも、黄金色の実りが縁起良く感じられうれしい!、と今ある状態をどう活かそうかと考えるでしょう。

何より、日々季節ごとに変化するプロセスを楽しみ、実がどんどん大きくなるのを目にすることで幸せな気持ちがわいてくるのではないでしょうか。

絶対に美味しい柿と「結果」を求めても、自然環境に左右されます。
絶対にお金持ちになる「結果」を求めても、期待するお金持ちになるかどうかは、その人次第です。

自然との関りは、自分ではコントロールできないものです。

まとめ

人間は自然をコントロールできないですが、自然からもたらされる恵みなくしては、生きていけないです。
だからこそ、自然との関りを通して、気づきや学びを得ることも多いのではないでいしょうか。

これは、他者や、社会状況においても同じことです。

変えられるのは自分だけ!です。

ですから、自分で自分をコントロールできる「目的」とコントロールできない「結果」を分けてとらえておくことで、余分なストレスを軽減できます。

私たちは、本来、幸せになるために行動しているはずです。

旅行に行ったところだけ、柿の実がなったときだけの「結果」だけで一喜一憂うするよりも、「目的」に向かうほうが、そのプロセスも楽しめそうだと感じていただけているとうれしいです。

プロセスは、今ここですでに起きているはずです。
そう思うと、今ここで幸せ感じられる気がしてきませんか?

こういう捉え方もあるんだなあと思ったら、ぜひ試してみてください!

自分の今行っていること、行ったことを心から楽しめる者は幸福である

ゲーテ
















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