私なんて生まれてこなければ良かった:本当の自分に気づく100日チャレンジ71日目
あっという間に
一日が終わり
一年が過ぎ
で、本当にいいの?
50代という折り返し地点にいる私が
本当の自分、人生の目的に気づくために
残りの時間が100日しかなかったら、という前提ならば何をどう選択していくかという「自分実験」100日チャレンジの記録を綴っています。
★70日目の記事はこちらからお読みください。
100日チャレンジー71日目
71日目にしたこと
私なんて生まれて来なければ良かった
春の陽気にベンチに腰をおろしてぼーっと過ごしていた。
まったり、温かい春風が菜の花を揺らしている様を見てウキウキしていた。
はずなのに・・・
突如、「私なんか生まれて来なければ良かった」という想いが浮かび上がってきた。
私の養育費分で父の借金が返せただろうし
そしたら家族三人で楽しく過ごせただろうし
そんな思いがグルグル巡ってきた。
私は邪魔な存在、ここに居る価値がないけど、それを認めさせたい、見返してやりたいと、幼い頃に思い始めたんだ。
自分に存在価値がないと思っていることには前から気づていたけれど、それをただそのままに感じ切ってなかったかもね。
71日目の気づき
納得したいのは受取り拒否のしるし
素直に受取りたくない自分の存在価値ナシは、そうするしかなかったんだという理由を見つけたくなる。
そうして、自分がそういう状態になったことが仕方がないと納得したいのだ。
しかし、それって、素直に受取りたくないだけのこと。
そんな惨めな自分を拒否している。
そうせざるを得なかったという正当な理由をつけたがる。
こうして、前から気づいていることにまた振り回される。
ちーん。いい加減、素直に受取らないとね。
71日目の振り返り
思考に振り回されている
受取りたくない想いがわいてくると、誰かを責めたくなる記憶が湧きあがる。
そうすると、その誰かを責めることで受け取りたくない想いを誤魔化すことができる。
今回もそのパターンがでてきた。
まだまだ思考に振り回されてる。
今日も一日ありがとう。
明日に続く。