サービス☆記事 令和版 誕生日別 和のお守り文様 11月1日<八咫烏>
令和版 誕生日別 和のお守り文様
令和の日本では西洋の文化が定着し、日本人特有の寛容さから異文化の祝い事なども生活の一部となり、それが当たり前のこととなっております。
それゆえに我が国特有の文化や文様が思い返されることが少なくなりました。
しかしちょっと考えてみてください。
さまざまにアレンジされながらも、その文化は脈々と受け継がれているのです。
たとえば昔からあった「瓜文様」。瓜科の植物は蔓草が繁茂する様子から繁栄の象徴とされ、手回りの道具や絵にあしらわれてきたのです。
現代では半分にカットされたスイカがデザインされた図案があるとしたら、これが昔通りの「瓜文様」ということになります。
文様にはそれぞれの意味があります。
366日のそれぞれにふさわしい文様を数秘術などから割出し、解説を加えたのが本書です。
季節にそぐって文様化された動植物、有職文様、渡来文様など、令和の時代だからこその文様も含まれております。
一年を豊かでラッキーに過ごすエッセンスとしてご活用ください。
暦について・・・
我が国は長い間太陰暦(旧暦)に従っていました。
太陽暦を取り入れると発表されたのは1872年明治5年11月9日。
実際に施行されたのは、旧暦明治5年12月3日を明治6年1月1日として開始されました。
太陽暦が当たり前の令和の我々には、旧暦はもはや遠い存在ですが、一月ほども違うと季節もずれてくるというもの。
行事や季節感に違和感を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
旧暦の季節区分
春 1月~3月
夏 4月~6月
秋 7月~9月
冬 10月~12月
新暦の季節区分
春 2月~4月(5/4までが春)
夏 5月~7月(8/6までが夏)
秋 8月~10月(11/6までが秋)
冬 11月~1月(2/3までが冬)
本書は新暦に則り、改めて令和版の『誕生日別 和のお守り文様』として発表させていただきます。
青木 紫
<11月1日生まれのあなたの文様>
八咫烏(やたがらす)
八咫烏は日本サッカー「サムライジャパン」のシンボルとしてその存在を知られるようになった三本足の烏ですね。八咫烏の「八」は「八百万(やおよろず)」に通じる「数多の」に「咫(あた)」は長さを表す単位(約18センチメートル)のひとつですので、「=大きな烏」をさします。
延喜式(養老律令に基づいて平安時代に成立した古代法典)にはこう記されてあります。
「三足烏 日之精也。 白兎 月之精也」
(世界を表すふたつの天体、日の精霊は三本足の烏、月の精霊は白兎なり)
朝廷の祭祀において祭具には日月文と共に八咫烏と白兎が描かれたものが数多くあります。
八咫烏が日の精霊とされるのは『古事記』や『日本書記』においてともに太陽神である高木大神、あるいは天照大神の命を受けて地上に降臨したことに由来します。
それは初代天皇となった神武天皇の東征にまつわる神話です。
『古事記』『日本書記』には即位する前の神武天皇の名や遣わされた神の名は表記が違うため、『古事記』に記された逸話を紹介させていただきます。
日向は天孫降臨の地、ここにいらした神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコのミコト)は兄である五瀬命(イツセノミコト)にこの葦原(=日本国)を治めるには葦原中国を平定せねばならない、と相談しました。それにしても中つ国を掌握するにはどうしたものか、と東へ向かうことを決めたのです。葦原国を統一して治めることは神意であり、まるでそれを助けるが如く数々の神の遣いが二人の兄弟のもとへ訪れ、助けてくれます。八咫烏もその使いのひとつ。
熊野(和歌山)から大和(奈良)への険しい山路を迷うことなく進むために使わされたのが八咫烏でした。八咫烏は道を示すだけではなく、時には先見としてその土地を治める者たちに二柱に従うよう説得役となり、皇軍を勝利に導いたと記されております。
そのことから「導きの神」であると同時に「勝利の軍神」として戦国武将に崇敬されました。
八咫烏をお祀りする熊野神社は那智の御社から分祀されて各地に存在しますが、八咫烏神社が最初に創建されたのは文武天皇の御世慶雲2年(705年)、神武天皇が大和を支配していた宇迦斯を討ち果たした現在の奈良県宇陀の地においてです。
何か迷うことがあれば八咫烏にそっとお願いしてみてください。
進むべき道を見つけられるかもしれません。