オパールの少女 第一章
第一章 2023年4月6日
不夜城と呼ばれるこの街は、その名の通り夜も明るい。
行き交う人々は回遊する魚たちのようで、群れごとに色が違う。
その間を頓着なく気儘に独りで泳ぐ魚もいる。
何よりとりどりにうるさい夜のネオンは主張の激しいサンゴのようだ。
やはりここは深海に似ていて心地よい。
ひょろりと背の高い白髪の若者が一人浮いているように見えたのはデ・ジャ・ヴュ。
彼はどこに流れて行こうというのか。
行く先が定まっていないのであれば、声をかけるしかあるまい。
運命というのはいつも唐突で必然なのだ。
私はぐい、と一歩踏み出した。
「ねぇ、君。地底人でしょう?」
彼は驚いたように目を瞠った。
その瞳は金色でどこか神々しさを覚える。
「君・・・?は、地底人には見えないけれど」
「あなたが地の底から来たのなら、私は海の底から来たというのが正しいわね。前にもその髪色を見たことがあるのよ」
彼は前髪をつまんでその色を確かめるように眺めた。
「ああ、でも。白い髪なんてその辺にもゴロゴロしてるよね」
「あれは染めただけでしょ?アルビノの人間も見たことはあるけど、君のその七色の輝きは他とは違うのよ」
「そうなんだ」
彼の名は『金剛』と言った。
「金剛?バジュラ・・・いい名前じゃない。ダイヤモンド君」
「君の名前は?」
「この姿は美沙という人のものだけど、最初の名前はヒメ、緋色の魚と書くの」
「そうか、ヒメか」
私たちはよろしくと言って握手をした。
シェイクハンズは世界共通、種別を超えても同じ人型であるならば敵愾心の無さを示すワールドピースな手法なのだ。
「ダイヤは地上に来てどれくらい?」
「ようやく慣れた感じなんだけど、時間の感覚が追い付けなくてよくわからないんだ」
「そう。私はしばらくお金持ちの愛人やってたから外の世界は久しぶりなのよね。お互いに目立つのは得策じゃないし、私の家に来る?」
「助かったよ。ちょっと途方に暮れてたんだ。さっきもコワイお兄さんにひん剥かれるかと危なくてさ」
「ならよかったわ」
ダイヤは色々と聞きたそうだったが、ここで私たちが身の上話を始めれば頭がおかしいとしか思われない。
地の底だの、海の底だの。
下手をすると薬でブッ飛んでいる奴と見做されてどんな目に遭うか・・・。
君子ではないけれど、危ない側の人間だと思われるのは避けて通りたい。
目を凝らしたすぐ側に溶け込みやすい闇があるファジーな領域。
不夜城とはそういう場所なのだ。
ボクを「ダイヤ」と呼ぶその声は水がたゆたうような響きで心地がよかった。
長い髪からはふわりと爽やかな香りがして、瞳の強い輝きが意志を感じさせた。
凛として美しい、素直にそう思った。
そして本能は彼女に従うことを良しとしていた。
ボクは迷うことなく彼女の後を追った。
ダイヤは端正な顔立ちをしていた。
まだ十代だろうか。
ともかく細身で体が薄い。
そして例の特徴的な白い髪はほんのりと七色の光沢を放つ不思議な色をしている。とても神秘的でギリシア神話に出てくる美少年ナルキッソスが現代に現れたとしたならば、このような容貌なのかもしれない。
そしてダイヤはとても物覚えが速かった。
「ダイヤ、ここまでの道、わかった?」
「うん。数日探索してたからね。おおよそ街の構造は理解できたし、何とかなるよ」
私の隠れ家は目立たない小路や店の裏口などに面する通路を辿ってようやくゴールできる迷路のような所にある。
ダイヤはどうやら一度通っただけでこの道を覚えたらしい。
ふいに雲が切れて、辺りは月光でほんのりと明るくなった。
4月の満月をピンクムーンと呼ぶのだそうだ。
花々が咲き染める色鮮やかな頃の月、ということで。
「今日は満月だったのね」
「ああ、キレイだ・・・。初めて見たよ」
「ダイヤ、地上へようこそ」
そうして私たちは二度目の握手をした。
「ヒメ、君の瞳の色って暗いところで赤く輝くんだね」
「そうなのよ。この体は元の物じゃないんだけど、眼だけは変わらないみたい。光の少ない闇の中では深海にいた時と同じなのかもね」
「ふうん、とてもミステリアスだ。素敵だね」
「人らしからぬとビビられることはよくあるんだけど、褒められるとうれしいわね」
私たちは共に暗がりから地上を目指した者同士。
闇の中でも目が利いて不自由がない。
「どうぞ。ここが私の家よ」
「お邪魔します」
ダイヤは全然遠慮をしなかった。
どっかりとソファの真ん中に陣取り、若さって時にスバラシイ。
「ヒメ、お願いがあるんだけど、携帯貸してくれる?」
どうぞと渡すとダイヤは手早くダイヤルキーを押した。
「お世話になっている人がいるから連絡しとくね」
それは邪魔しては申し訳ないので、私はキッチンに向かった。
「アキラさんですか?金剛です。ええ、大丈夫ですって・・・」
話が終わった頃にキッチンから顔を覗かせると、ダイヤはありがとう、とにっこり笑った。
「ボクさ、地上に来た時に右も左もわからないし、おのぼりさんみたいだったからさ、ちょっと性質の悪そうな人達に絡まれたんだよね。それを助けてくれたのがアキラさんってお兄さんなの」
ずいぶん軽口で何でもないように言っているけれど、本当のところはきっと大変だったに違いない。しかし物珍しそうにキョロキョロしているダイヤの姿を想像した方が平和でホッとする。
「無事でよかったわね。・・・で、アキラさんて何してる人?」
「ホストだよ。しかも超カリスマなんだって。すごく面倒見がよくて兄貴肌ってやつかな。ともかくスゴイ美形」
「あら、お近づきになりたいわね。ねぇ、ダイヤ。もしかして、ココアとか好き?」
「ええ?憧れだったんだよね。地底ではカカオは高級品でさ」
「地上と交易があるってこと?」
「うん。地底から供給するのは主に宝石だけど、そうした取引は国のトップしか関われないから、よっぽどのエリートじゃないと手に入らないんだよね」
地底人の存在をこの世界でどれだけの人が知っているのだろう。
そして商取引が存在するのにも驚いた。
ココアを出すとまずは一舐め。
「お砂糖もらってもいいかな?」
「いいわよ」
どうやら地底人は甘党らしい。
ダイヤはココアを飲み干すと私の顔をじっと凝視めた。
「ヒメは海底人ってこと?」
「うーん、正確には人魚」
「へぇ。水に浸かるとその足は尾になるの?地上の映画でそういうのあったよね」
私はドレッサーの抽斗を開けて、小さな欠片をダイヤの掌に乗せて見せてあげた。
それは5センチ四方くらいの私の分身。
「貝?キレイだな」
ダイヤは半透明の欠片の向こうを覗くように電灯に透かして眺めた。
「それはね、私の鱗なの。地上に上がった時に尾の鱗はすべて消えたけど、最後に残ったその鱗を自分で剥がして人魚であることを捨てたの。だからもう魚の形には戻れないんだ」
「そうなんだ。たしかにこの鱗は君の瞳と同じ色だね」
「うん。人魚はほぼ単色なの。私の髪も瞳もこの鱗と同じ色だった」
「・・・だから、緋魚、なんだね」
「そう、単純だけど。青紫の髪と瞳と鱗を持つ仲の良かった子は紫苑という名だったなぁ」
きっとダイヤはもっと聞きたい質問があるはずだけど、どこまで聞いていいものか、私がどこまで知っているのか測っているのだろう。
どのみち嘘をついても仕方がないことだし、こちらの正体はもう明かした。
ならばショートカット☆
「ダイヤは発症してどのくらいなの?」
少し驚いたようにダイヤの眉毛が跳ね上がったけれど、諦めたように八の字に下がった。
「半月かな、まいったな。僕はあとどのくらい生きられると思う?」
「わからない。翡翠は出会って二年で死んだ・・・」
「そうか」
重い沈黙が続く。
ダイヤはもうそんなに長く生きることはできないのだから。
「ときおり自分の命の期限を考えちゃうんだよね。だから考えないように働いて誤魔化していたんだけど、このままでもいけないな、って漂っていたところを君と出会ったんだ」
「そうだったのね」
美しいけれど残酷な白髪は絹のようになめらかな手触りだった。
「翡翠というのが君が以前出会った地底人なんだね?彼女の話を聞かせてくれる?」
「じゃあ、まずは予習ね」
私はオンデマンドで最近話題の鬼狩りのアニメをセレクトした。
「エッ、アニメ?」
ダイヤは面食らったようだったが、今とは色々と違うので時代背景を知ってもらうにはビジュアルが一番。深刻になりすぎるのもいきなりヘビーだし、ダイヤを追い詰めるようで、気が引けるところもあったのだ。
「さぁ、さぁ。観てごらん」
映像美が広がってゆくのを食い入るようにみつめるダイヤの横顔はワクワクと、幼い少年のようだった。
さすが世界を席巻したアニメーションは面白いらしかった。
すっかりファイヤースティックを使いこなしたダイヤは明け方には〇治郎立志編をあっという間に見終わってしまったのだ。
「アニメってすごいな。家族愛とか、なんかもういろいろ感動しちゃった。〇治郎はあんなに辛い目にあったのに、ひたむきでいい子だよねぇ。何より礼儀正しくて謙虚で人を敬うところが素敵だな」
「うん。努力家だし、根性あるし。人を食べる鬼の背景を理解して優しいところもグッとくるよね」
「〇豆子もさ、すごい意志が強くて兄思いだよなぁ。でも確かに今のこの国とはあきらかに様子が違ってたね」
「そうね。100年くらい前なんだけど、大正時代ってね、今とは全然違うのよ。治安も悪かったし、口減らしのための人買いなんかもざらにいてさ。鬼狩りのカ〇ヲちゃんみたいな子はたくさんいたのね。翡翠は綺麗な明るい緑の瞳と君と同じ珍しい白髪の容貌だったから、攫われて浅草の見世物小屋に売られるところだったの」
「そうだったのか」
「まぁ、話は長くなるから一旦ここまで。ココア・ラテでも飲みに行こうか。お腹もすいたでしょ?」
「うん」
「あとはもろもろショッピング☆」
陽はすでに高く昇り、白髪が陽光で七色に輝いて、昼に見るダイヤの姿はやはり美しかった。
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