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不妊治療について

記憶が鮮明なうちに書き残そうと思ったのは、何より私自身が不妊治療のときも妊娠中もまさに今も、ずっとネットの情報収集に頼って生きてきたから。私の経験ももしかしたら誰かの役に立つかもしれないし、私も忘れないようにしたいし。

育児をしながらなので誤字も多くなりそうだけど、とりあえずやってみることにした。

まずは不妊治療の経過について記す。結構長くなるかもしれないのでそのうち見やすくなるよう編集しながら。

30歳で結婚し、避妊をやめればすぐに妊娠できると思ってた。おかしいなと思ったのは半年くらい経ってから。タイミングは合ってるはずなのに、もしかして不妊なのか?そんなことを思いながら自己流でタイミングをとっていく。

いよいよおかしいと思った32歳、泣くほど痛い卵管造影やら精子の検査やらをしても異常なし。ホルモン値も正常だし、生理も問題なし。原因不明で時が過ぎていく。タイミングでダメなら体外受精になると主治医に言われ、『治療は嫌だ』と夫に泣いて頼んだら許してくれた。自己流でタイミングを続けるもかすりもせず、気持ちの変化があったのは35歳。治療するにもラストイヤーだなと思ったとき、もう一度夫に聞くと『一度は治療してみたい。だけど嫌なら無理は言わない』と。夫は私にはもったいないくらいの良い人。この人にも人生がある。私だけの人生じゃない、夫のために治療しようと決意。
初の採卵では8つ卵がとれたけど一つも胚盤胞に至らず途方に暮れる。主治医からビタミンDの検査を受けるよう言われ血をとると血中濃度14と恐ろしい低さで立派なビタミンD欠乏症。その日からビタミンDを毎日用量の4倍飲むことになった。治療の方はどうするか悩んだけど基本的に移殖することを前提としていたので再度採卵をすることに。なぜか二度目の採卵はめちゃくちゃ痛くて休憩室で号泣し看護師さんに慰められた。なんでこんな思いをしないといけないのかと思いながら泣いた夜は孤独だった。結果5つのうち3つが胚盤胞に到達。しかし3BB、3CB、最後は6日目凍結とどれもグレードが低い。3BBで初の移殖、着床するもhcgは50と低く、1週間後も130までしか上がらず。その後は一桁に下がり化学流産。束の間の妊娠に涙した。

次の移殖に向けてお休みしている最中にコロナ流行。こんな状況でも治療を続けるのか悩み、この先の子育てのことも考えると子なし人生でも良いと思えたが、夫は反対。平行線で初の家出(ホテル一泊)。色々と話し合うも、凍結してる胚盤胞はせっかくだから移殖することで腹を括る。正直グレードも低いし諦めていた。そして宣言解除後に3CBを移殖するとこれも着床。着床環境は良いらしい。hcgは74(BT7)→303(BT10)→780.4(BT13)とそれなりに上がっていき、5週で胎嚢確認、7週で心拍確認。不安とつわりで毎日吐きながら10週で不妊クリニックは卒業。最後に主治医に不妊の原因を聞くと、ピックアップ障害だったのかもしれないが推測の域を超えないとの所見。看護師さんから祝福されると自然と涙が出た。この歳で祝われる『卒業』、確かに達成感があった。結婚した時はこんな形で妊娠するなんて想像もできなかった。

やっと妊娠できた。でも大丈夫だろうか、喜びと不安で仕方ない毎日だった。妊娠後については色々あったので、また別記事で。





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