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ローザンヌの報道に対する違和感

今年もバレエコンクールでは素人にも有名な「ローザンヌ国際バレエコンクール」が終わりましたね。今年も日本人が入賞したという報道を目にする。もはや10年近く前だけど、菅井円香さんがゴールドメダル獲った時の報道とか思い出すと、今だに的外れな認識してる日本の文化に対しての理解度にうんざりする。
もちろん、入賞者には最大の敬意をだし、参加者全てが素晴らしいことは理解している上で言わせてほしい。

ローザンヌの順位イコール世界で何番目にバレエがうまい人ではない

「ローザンヌ◯位!」を持て囃す風潮に物申したい。

確かに、当日の結果でスカラシップ取れたと言うのは素晴らしい。が!それはあくまでコンクールでの立て付けとしてつけているようなもの。順位こそあれど、このコンクールは若手にチャンスを与えると言う趣旨で開催されているので、参加者全員が意味勝者として讃えられるべきコンクール。参加できるレベルまで頑張っててまずすごい!
ましてや、学んだりプロとして活躍する場が少ない国の人間へのチャンスという機会なのだから、むしろ日本人が出場して上位に入賞していることを外野はむしろ恥じるべき。
それは日本の環境があまりにも貧弱であるとの証左でしかない。
実際、研修先としての受け入れ先に日本のバレエ団はKバレエカンパニーのみ。そもそも日本でパブリックなダンスカンパニーがほぼない上に受け入れ先がここだけとか、いかにこのカテゴリが「お稽古事」「私企業」「個人の努力」にあぐらをかいて芸術として保護されてないかがわかる。
「このコンクールの趣旨にそぐわないので参加しない」人たちがいるのは当然の話。自分達が教育を受けられるチャンスをすでに掴んでいるのであれば。

バレエは主役級のバリエーションを上手に踊るのが本義ではない、はず。

コンクールでの評価の便宜上、途中のワークショップの経過や、一定の型が決まっているものを踊らせる課題曲という形で評価はしているのはもちろんわかる。バレエは型の芸術だし、同じことやらせると違いが如実にわかる。だからといってアイスダンスのコンパルソリーみたいに同じことをやって数値化されてる技術点として採点するものでもないはず。

別にバレエってフィギュアスケートや体操競技みたいに「バレエの舞台本番は決められた何分のプログラムを踊るもの」ではない。
コンクールによっては男子女子の個人だけでなく男女ペア参加でパドドゥなども踊るけど、それもあくまで「舞台の全幕があってその中のごくごく見どころとなってる一部をピックアップしてるだけ」の話。
プロに求められるのは「主役級やソリストのバリエーションだけをただ上手に踊る」ではないよね。主役だけでバレエはできてない。
バレエの作品として成立させるパーツとして、当然バリエーションもパドドゥも群舞もそれぞれが技術的には抑えつつ、技術以外の部分も当然しっかり演じることが「職業プロダンサー」として将来的に求められるものですよね?
そこを履き違えて、コンクールの成績だけを持て囃す、事実誤認を促すような報道はいかがなものかなと常々思う。

いかんせん、この国では表現に関してプロに対しての資格制度もないし、明確な基準がない。
そんな中で適当な報道するなというのはやってる側見てる側の我儘と捉えられるかもしれないけど、ただ目立ってるから報道されてていいじゃないではなく、「正しい」認識がされるように声を上げる必要はあると感じてる。
このままだと文化後進国のまま滅びていきそう。

私に課金していただいたぶんは私が別のエンターテイメントに課金してそれをまたネタにしますので華麗なるマネーロンダリングとなります。