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M姉、ありがとう。また会う日まで!と、年末所感。

あと1日と少しで今年も終わるんだけどね。
12月は、意図せずほんとに忙しかった。
気づかぬ間に晦日だもの。

20日くらいまではひたすら仕事。合間に忘年会やNY時代の友、魂友との食事をして。そんなに詰めた気はしていなかった割にぎゅーっとなってた。

今月初旬、従兄の元嫁が年を越せないかもという連絡は来ていた。「元」が付いていても、小さな頃から可愛がってもらったひと。気が気ではなかったけれど、目の前の仕事もおろそかにするわけにはいかない。

ようやく合間を見つけて羽田に飛ぶ。「間に合わないぞ」という従兄からの連絡はあったものの、なんとか間に合うことを願って搭乗した。

既に自宅療養となっていたので、そのマンションに向かった。扉を開けた彼女の娘に開口一番言われたのは「ねぇね(私の呼称)、棺が部屋に入らなかったから葬儀場の冷蔵庫に入ってるの。会いにいく?」だった。

連れ立って出向いた別の従兄嫁とその娘と3人で「え?」と固まる。「亡くなったの?」という問いに「え?!父がねぇねに伝えたって言ってたから知ってると思ってた(驚)!」。…もう、なんだよ、それ。みんな、動転してるね。きいていないけれど、従兄の性格を考えたら、うん、しゃーないなぁ。。。

元従兄嫁、M姉の亡骸に手を合わせ、またあちらの世界で会えると知っていても泣けちゃったよ。綺麗な顔だった。私に会いに沖縄に来ると言ってくれていたんだって。

葬儀は翌日だというけれど、喪服はないし仕事はあるしで、納骨に合わせて改めて出向くことにして、予定通り翌日には帰宅した。

44才になる娘のAが、3人の子供たちとともに1ヶ月弱の介護をしたのだけれど「楽しかった」って言うんだよ。寝たきりである母、M姉もよく喋ったし、笑顔ないい時間だったって。

A姉は70代後半、でも意識はハッキリしていて記憶障害もなかった。娘や孫に葬儀の希望や後々のことを全て託してあの世に移籍した。過去、大変なことがたくさんあったことは重々承知しているけれど、悪くない人生だったんだねと素直に思えた。

思い返せば、ハタチ前後の頃にM姉に会う度に「センスいいなぁ〜」と思っていた。M姉は私の従兄と結婚するまで松竹歌劇団、いわゆるSKDで踊っていたこともあって洗練されていた。私が服に興味を持てたのは、M姉のおかげなんだな、きっと。

もっと会いに行けばよかった。

…なんてね、誰か大切なひとの最後になると誰でも思うこと。子どもが大人になるにつれ、親や親戚に会う回数が極端に減っていく。これは世の常識だね。あと何回会えるのか。わかっていても自分の日常の優先順位が先にきてしまう。

私が最後になるときも同じなんだろうなぁ。でも、誰のことも恨まないよ。たぶんね。みんな自分を生きることに精一杯。

M姉の最後を語ってくれた娘のAと孫たちがほんとに可愛くてね。私が若い頃、Aの家庭教師をしていた時代があるんだけれど、マジで覚えが悪いどころの騒ぎではなくてアホだったの。笑。にもかかわらず、素直にオトナになった。M姉の愛の為せる技だね。久しぶりに会えて嬉しかった。

Aが臨場感たっぷりのアレコレを話してくれて、昭和な寅さんファミリーの話を聴いているようだったよ。確かに姉は幸せだったんだ。帰宅して夫にその一部始終を伝えたら、泣き笑いをしていた。私も横浜でまさにそんな時間を過ごしたんだよ。

クリスマスはそんな感じで故人を思い、気づいたら晦日。はぁ。

昨日は友人から大きな決断をした知らせが届いた。みんなみんな、今を生きてるね。決断したなら前に進むのみ。大変だったろうと思うけれど、企画して、実行、結果を見ての決断。そこに否も可もない。

明日は大掃除とお正月膳の準備。夫婦二人だから楽チンだけれどね。

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9-11月は病院騒動、12月は挽回の仕事をし、姉を送り。年間130冊kindleで本を読む私が、今年は115冊で終わる。この15冊減は病院通いと気持ちが乱れていたせいだな。それもまたよし。私の2023年が明日で終わる。

どなたさまも…おだやかな大晦日と心地よい新年をお迎えくださいね。

明日は年に一度だけ、喜んで普通のテレビ番組=紅白を見る日。めっちゃ楽しみ!きれいに今年を終えよう。

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