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翻訳者のつぶやき なんで私が『臓器収奪ー消える人々』を... その16

今回は第三章「府右街で起こったこと」の体験者の証言で綴られた名作ドキュメンタリーをご紹介します。
(...実に物騒な書籍の翻訳者になってしまいました。その経緯と本書の内容に関わる逸話や情報をお伝えできればと、ブログを書いています。)

(16)赤い壁

翻訳出版にあたって、校閲さんが2度にわたって綿密に事実確認をしてくださった。法輪功の迫害を記録し世界に発信している「明慧ネット」などが主に参照された。

【第二章から第三章へ】

『臓器収奪・消える人々』の第二章は法輪功の興隆で始まる。共産党が中国政権を執る以前の、中国元来の仏教や道教の思想が回帰したとして、法輪功は7000万人を引きつけた。党の最高幹部に至るまで、あらゆる人々に浸透していったが、「迫害の決断は1999年になされていた」(p.102-103)と不吉な余韻を残して第二章は終わる。

1999年7月の法輪功弾圧に至るまでの詳細が第三章だ。法輪功の発信文書ではなく、ここまで綿密に執筆された日本語の文書は、拙者の知る限りではない。著者による分析、当時中国に駐在していた著者の体験も記述に含まれている。

【1999年4月25日】

1999年4月25日、天津で逮捕された45人の修煉者の釈放を求めて、1万人余りの修煉者が府右街の近くにある国家陳情局に赴く話から第三章は始まる。中国では重要な日であり「425上訪事件」「中南海事件」などの呼称があるようだ。赤い壁は府右街の東側に伸び、その向こうには政府の中枢が集合する中南海がある。

1989年の天安門事件以来、中国市民の最大の集まりだった。表面上では政府は法輪功と和解したが、実は水面下で迫害準備が進められていた。

【校閲さん】

本章では、4月25日の朝7時半から午後9時までの様子が時間を追って、記述されている。午前の最大の動きは、朱鎔基の出現だ。

ほぼ午前9時:ドラマが始まる。……すると突然、朱鎔基国務院総理が門から現れた。

『臓器収奪ー消える人々』第三章 府右街で起こったこと 陳情(p.116-117)

この箇所に関して、校閲さんが「朱鎔基が出てきたのは8時15分頃?」として、明慧ネットの記事のリンクを貼ってくださった。https://jp.minghui.org/2021/05/08/74969.html

たまたま、この話に関するドキュメンタリー映画を見た後だったので、「参照映像の15:55のところでは、『私の記憶では9時前もしくは9時から10時の間でした』とあり、証言に基づくのでいろいろあると思います」と説明して、「ママ」(そのまま残す)にしてもらった。

【赤い壁の回想録】

一つの事件には様々な記憶が残され、様々な角度から語り継がれる。本書の邦訳後に、このドキュメンタリーを見て大いに学んだ。話が身近になった。ぜひ(できれば本書と合わせて)この43分のドキュメンタリーをご覧いただきたい。

この映画の最後に、法輪功に関して「なるほど」と思う説明があった。当時、中国共産党公安部11局副局長だった葉浩氏の言葉だ。インタビューされているということは、おそらく、法輪功を続けるために何らかの形で中国から離れ、国外で暮らすようになったのだろう。

江沢民は愚かでした。過去の毛沢東の闘争は、地主、反革命分子、資本家に向けられていました。人に対する闘争でした。右派を攻撃し、文化大革命を発動しました。人が人を攻撃したのです。
江沢民は標的を誤りました。天を攻撃しようとしたのです。

(「赤い壁の回想録」 41分14秒から32秒)

江沢民は2〜3ヶ月で法輪功を撲滅できると踏んでいたが、23年後の今日、今も続く迫害が着実に世界に認識されてきている。

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4月25日に関しては、米国を拠点とする「法輪大法情報センター」の記事、”迫害の前夜”にも詳しく説明されています。


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