![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143120000/rectangle_large_type_2_45f4aaacac05ece21c1b22029281e283.png?width=1200)
わたしはなぜコーチングをするのか
コーチングと出会い、学びはじめて約7年が経ちました。
今もこれからも、多分死ぬまでコーチングはやり続けるし、学び続けるんだろうなって思っています。
コーチングもっとうまくなりたい~!というのは毎日、毎瞬、いつも思っています。
そもそもなぜ私はコーチングをするのか?
なんだか色々理由はありそう。
コーチングと出会ったときは、
コーチングって面白い!奥深い!難しい!
そればっかり思っていました。
どのあたりでそう思ってたのか?
「クライアントの中に答えがある」「アドバイスしない、ティーチングしない、コンサルティングしないコミュニケーション」
多分このあたりにコーチングの新しさや可能性を信じていたのでしょうね。
周囲に新しいこのコミュニケーションのすごさを広めたい、そんな思いもあったかもしれない。
当時は口を開けばコーチングだとね、とか言ってたので、今思えば周囲の人はうざかったと思いますw
コーチングと出会って7年経って、PCCを取得して、一定の自分のコーチとしての強み的なものや、コーチとして大事にしたいこと、みたいなものが固まってきたように感じます。
そんな自分が今どう思っているのか?
やっぱり当初の
コーチングって面白い!奥深い!難しい!
っていうのは変わらなくて、コーチングの学びをしているときが一番時間を忘れて没頭しています。
く~まだまだだなぁ、正解がないなぁ!と毎回感じることがすごくチャレンジングで楽しいし、あぁ私まだまだ成長できるなぁということが嬉しい。
挑戦と成長が価値観の一つとしてある自分としては、まさにそれを発揮する対象があることで、さらにエネルギーが出ている感じがしています。
当初と今で「なぜ私はコーチングするのか」に確実に差があるとすれば、「クライアント」という主語が今はめちゃくちゃ出てくるようになったこと。
コーチングの学び始めって、クライアントよりコーチングしてる自分、に目がいきがちじゃないですか。(私の場合だけかもしれないですが)
今はそれよりも何よりも、
「クライアントがセッションが終わった瞬間、勇気をもって前に進めるような時間にしたい」
というのが一番。本当にこれが一番コーチとして実現したいこと。
そのためのHOWとして
「クライアントと一緒にクライアントについて探索しつづける」
というのを一緒にしていきたいんだなと思っています。
何でそういう風に思うようになったのだろう?
それを考えると
自分自身のクライアント経験
素晴らしいメンターとの出会い
ICFのコアコンピテンシーの自分なりの解釈
このあたりの影響がとっても大きいです。
特に「勇気をもって前に進めるように」はクライアント経験でそう感じました。
セッション中に放たれたフィードバックとパワフルなアクナレッジが、セッションが終わっても常に背中を押されているような、そんな感覚をずっと残していました。
メンターからのセッションも同じ。
セッション中だけでなく、メンターから送られてくるメール1通1通にアクナレッジが込められています。
しかもメンターの使う言葉ひとつひとつが、とってもテイラーメイドされた、私への特別な言葉に聞こえてくるから本当に不思議。
私はそんなコーチになりたいのです。
そのためのHOWとして、ICFのコアコンピテンシーの理解を深めてそれを自分なりに体現し続けていきたい。
私はなぜコーチングをするのか?
に対して現時点で心底思うことは、
挑戦と成長をし続けていきたい、という私自身の思いと、クライアントがセッションが終わった瞬間、勇気をもって前に進めるように。
これを実現したいからコーチングをし続けているのだと思います。
なぜそれを実現したいの?という問いも出てきますね。
これは単純で、誰かの力になりたい。誰かを勇気づけたい。なぜなら私がそれをされるととても嬉しいし、人生が生きるに値する素晴らしい世界だってことを感じられるから。
コーチとして、なぜコーチングをしてるのか?コーチングで何を実現したいのか?
これはずっとずっとアップデートされ続けると思います。
それは自分の状況や経験が糧となって、「わたしであること」ということにめちゃくちゃ紐づいていきます。
毎日、毎瞬、感じてること考えてること、生み出していること、すべてが積み重なって人生を作っていくのだなぁと。
そう考えてると、他の人と比べたり、自分に才能がないなぁ、とか、限界を感じてがっかりすることが馬鹿らしくなってきました。
毎日感じて、考えて、何かをやる。それだけで良い。それが「わたし」を作り、それが私というコーチなのだから。