
DQ3:古い伝説と新しい体験
世界はひとまず救われた。魔王バラモスが倒れ大魔王ゾーマの恐怖が消え、というのは『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』の1話冒頭の文だ。漫画はそこからさらに百年が経過したところから始まるが、ドラクエ3のゲーム上ではクリアデータがセーブされたら時間は一旦巻き戻る。というわけで大魔王はまだ健在であり、にもかかわらず勇者一行はクリア後に開放される新ダンジョンでのんびり遊んでいる。大魔王はまあそのうち、以前より格段に強くなったパーティーによって倒されるだろう。15ターン以内で。
考えてみれば、ドラクエ3は物心ついた頃から身近にあったゲームソフトだった気がする。ファミコン版の発売当時はまだ幼すぎて、ロールプレイングゲームという遊びを理解できる歳ではなかった。がしかし、親戚がプレイする傍らでテレビ画面を見つめ、勇者+賢者×3、全員レベル99のパーティーが歩いていたのをなんとなく覚えている。
動作がゆっくりかつ、いつ『ぼうけんのしょ』が消えるかもわからないファミコン版でそこまでやるのはなかなか大変だったに違いない。まあその後のダンジョンも無ければ盗賊もいないし特技の類もないし、エンディングを見た後はそのくらいしかできることが無かったのかもしれないが。
クリア後のおまけダンジョンは、スーパーファミコン版から追加されて以後引き継がれ続けているアレと、大きく様変わりしたもののゲームボーイカラー版で追加されてその後しばらく再登場の機会がなかったアレのふたつだ。前者はともかく、後者の方は『モンスターメダル』の収集要素がHD-2D版には無いし、それが攻略条件になっていたダンジョンもまた無いのだろう、と思っていた。そしたらなんと、ザコ敵&裏ボスともども収録されているではないか。しんりゅうは10年ごとくらいに別のハードで再会してきた気がするが、もう片方のボスはほぼ四半世紀ぶりくらいではなかろうか。
攻略条件にも色々ある。中でも『特定のアイテムを集める』というのはRPGのお約束というか、ポピュラーなもののひとつだ。かつてスーパーファミコン版でプレイしたときと同じように、やはりまたとうぞくのはな&レミラーマで落ちてる物品をかき集めていたのは先日書き記した通りだ。それこそ四半世紀以上に過ぎ去りし時を求めるがごとくやってることが変わってない。良いのか悪いのか。まあ楽しいから良いことにしておこう。
小さなメダルは落ちてるところに行けば必ず拾えるのでずいぶん易しい。いつ落とすかもわからないまま同じザコ敵を延々狩り続けなければならないモンスターメダルに比べれば。他の諸々は伏せておくにしても、システムの変更に伴って色々変わったダンジョンは、顔なじみのザコ敵以外はほぼ初見……というか、同じ名前・同じ姿で顔なじみだったはずのザコ敵でさえ、各パラメータの仕様変更によってまったく違う魔物のように強化されている。上限値255が999になれば、そりゃあ強くなるわけだ。それらが群れで現れたとき、大魔王よりよっぽど苦戦する。
同じドラクエ3のはずでありながら、以前と比べバトルバランスはもはや別物、別のドラクエといってもいい。そこには新しいプレイ体験と新しい感動があり、ちょっとしたストレスまでもがやはり新しい。過去にどれだけ遊んでいても、時代とともにハードの性能が上がり、表現力が上がればそこには今までになかった新鮮さが必ずある。必ず。
大人になり、残念ながら少年の頃のように純真ではなくなった。それでも。
ロトのよろいの目も覚めるような青さが、実はファミコンでの画面表示の都合だったのでは、などとなんとなく察せられるようになっても、楽しいものは楽しい。楽しめるだけの余裕があれば、何度巡り合ってもやっぱり楽しいのだ。自分が必要だと感じるものはいつまでも必要で、なくてはならない。他のゲームも様々ある中、人生のどこかには『ドラゴンクエスト』が必要だ。少なくとも、私にとっては。
わかりやすい見た目、シンプルなシステム、そして単純明快な目標。そんなオールドタイプなゲームの良いところは『世代を問わず遊べる』というところに尽きるのではないだろうか。下は小学生から、上はたぶん、元気があればいくつになっても。
現実と比較しなくても、ゲームの中ならではのものが。あるいはゲームを通して、より広い世界への憧れを育むものが。そしてまた、自分の足で動くのが難しくなっても――『ドラゴンクエスト』という名の冒険が、いつも待ってくれている。
……ということで、私は引き続きパンドラボックスをしばき倒してきます。いくらなんでも強化されすぎだろう、アイツ🙃
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