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やさいクエスト(第七回)

Ⅶ.第一章 希望をはこぶものたち(6)

 キャベツは再び神殿を見下ろした。やはりただ建てられただけのものではなかったのだ。しかし、どういった秘密があるのかまで想像はつかない。
「そろそろアナスタシア様の準備も整った頃だろう。神殿へ戻るとしよう」
 ナス科の一族により長きにわたって守られてきた秘密とは。胸の高鳴りを抑えつつ神殿へ戻ったキャベツを出迎えたのは、見慣れぬ装束に身を包んだアナスタシアであった。
「なんと美しい……!」
 キャベツの口から嘆息が漏れた。彼女をよく知るはずのジャガイモでさえ、瞬刻言葉をなくす。
 ところどころに銀糸のあしらわれた薄衣はアナスタシアのきめ細かな肌をも透かさんばかりの透明感で、なんとも艶を感じさせる。ゆったりとした袂が彼女の手の動きに合わせて優雅にはためき、もとから備えられた神秘性がさらに増すとともに、男性たる二者に一種の背徳感まで覚えさせた。
「何度お目にかかっても、まことお美しい姿であらせられる」
「褒め過ぎですわ。準備はできています、儀式を始めましょう」
 アナスタシアにつき従う形で神殿の奥へと進むと、祭壇が姿を現した。その部屋は神殿の中においてはやや広めで、それでいて祭壇のほかには壁が見えるばかりだ。
「では、ここからは私が。お二人は下がっていて下さい」
 祭壇の前へと歩を進めるアナスタシア。彼女は神楽鈴を取り出すと、ゆっくりと舞いを舞い始めた。静かな空間に鈴の音だけが響く。
「これが儀式――だが一体、何のために?」
「もうすぐだ。全てを明かそう。今は舞を楽しむことだ」
 小声で尋ねるキャベツに、小声で返すジャガイモ。二人がそうこうしているうちにもアナスタシアの集中は高まり、鈴の音が少しずつその高さを増していく。
 やがてひときわ高く大きな鈴の音が部屋を震わせると、アナスタシアは跪き、祭壇に祈りを捧げた。儀式は完了したのだ。
 そして、その時。
 かすかな振動が、キャベツの足元を揺らした。
「祭壇が……動いている!」
 祈りを受けた祭壇が何かに引き摺られるように動きはじめ、それが振動を引き起こしていた。祭壇のもとあった場所には、なんと地下へと続く階段があらわれている。
「大地の巫女アナスタシア様が舞いと祈りを奉納することにより、道が開かれる仕掛けだ」
「なんと大がかりな……!」
「フッ、地下へ降りたら腰を抜かすぜ、キャベツ」
 普段は誰も出入りしないのだろう、地下は暗く、アナスタシアが手燭から燭台に火を移してようやく地下室の全景が見て取れた。
 上に比べると幾分狭く、床はまだしも壁のほとんどは岩肌がむき出しのままだ。神殿の地下室というより、おそらくは最初から存在した地下空間の上に神殿を建てた、という方が正しい。それが証拠に。
「壁画だ、かなり大きいな」
 キャベツの言う通り、ほぼ正方形の部屋の正面――階段に向かい合う壁の一面に、古い壁画がそのまま遺されていた。鍬を持ち、畑を耕す者の画に間違いない。
 しかし、キャベツはその画に奇妙な違和感を覚えた。
「鍬に畑、これは開墾の様子に違いない。だが畑を耕しているのは……これは本当に野菜なのか?」
 画の中で鍬を振るうのは、キャベツの記憶にない未知の存在だったのである。その独特の形状はどう表していいかさえ分からない。キャベツの知るどのような野菜の形とも、微塵も一致しなかった。
「お前も、話くらいは聞いたことがあるはずだ」
 ジャガイモの声のトーンが、いつになく低い。
 荘厳な空気に気圧されて――いや、どちらかといえば、見たくないものを見せられた時のような、思い出したくないものを無理に思い出させられた時のような、そんな感じだ。
ニンゲンだよ。そこに描かれているのは、ニンゲンだと言われている」
「インゲン?」
「ニンゲン。昔話ではよく耳にするだろう?」
「確かに、小さい頃に聞かされた覚えがある……けど、ただの伝説じゃないのか」
「それがどうやら、事実らしいのです。ニンゲンの手によってもたらされたという、野菜世界創造の神話」
 疑問に応えたのはアナスタシアだった。彼女はさらに続ける。
「世界創世の後、ニンゲンの鍬は大地に残されたまま、朽ちるのを待つばかりでした。それを原初の野菜たちが加工しなおし、壁画とともにこの地に祀ったのです」
 キャベツは息を呑んだ。それが本当なら、自分たちは今、神話の傍らに寄り添っていることになる。壁画の迫力に目を奪われて気付かなかったが、画の少し手前には小さな台座が設けられ、剣らしきものがつき立てられているではないか。原初の野菜、キャベツやジャガイモたちの遠い祖先が祀ったものとはまさに――。
「伝説を覚えているか、キャベツ」
「――うむ」
 キャベツは幼い頃の記憶を紐解いた。そう、神話に語られた勇者に憧れ、自分も剣の道を究めんとしたのではなかったか。
 祖父母や両親から幾度となく聞かされた神話の一端を、キャベツは一字一句に至るまで覚えていた。
「国の秩序と安寧乱れしとき、天地の力を身に宿すもの、金色に輝く『天地の剣』振るいて邪を払い、救国の勇者とならん」
 乱世において勇者の出現を予言した、伝説の中でも特に有名な一節である。
 しかしキャベツを含めた多くの民は、この予言を千年王国建国以前の戦乱の時代を指したものと解釈し、勇者もまた過去の野菜――とりわけ、全国統一を成し遂げ千年王国樹立の立役者となった初代国王・マクワウリのことと信じていたのだ。だが。
「秩序と安寧乱れしとき。まさに今現在のことと思わんか、キャベツよ」
「違いない。では、あの台座――あれに見えるのが、伝説の」
「ああ。我々ナス科以外で目にするのはお前が初めてだ」
 畏怖をも覚えながら台座に近付くキャベツとジャガイモ。余計な飾りを排した剣は力強さを感じさせる真直ぐの両刃、しかしながら淡い黄金色の刀身は、静謐たる空気をも放っていた。
「これぞ伝説に語られる『天地の剣』。我々ナス科が時代ごとに受け継ぎ護ってきた『秘密』そのもの、だ」

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神月裕
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