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AIの在処
その選択に心はあるか。
先月発売された『ボイド・テラリウム』というゲームをプレイした。ストーリーやシステムなどの詳細は公式サイトで見られる。
有毒菌類に侵され文明が滅びた地球に、ただひとり生き残っていた少女。
プレイヤーは偶然に目覚めた一体のロボットとなって、弱った少女の世話をし、生存に適した住環境を整えていく、という内容だ。
ゲームとして特徴的な部分はいくつか挙げられるが、私はシステム面以上に、ゲーム内における『キャラクターの少なさ』に注目したい。
過去の文明の遺物となった機械類が淡々と稼働し続けるだけの世界、という物語の背景上、他に人間のキャラは出ない。ではロボットがたくさんいるか、とういとそういうわけでもなく、プレイヤーと少女以外でストーリーに関わってくるのはAIが二種、たったそれだけとなる。
ありとあらゆるアニメゲームマンガでインパクトの塊のようなキャラクターが濫造される昨今にあって、この登場キャラクターの少なさはなかなか特異ではなかろうか。
キャラクターが少ないということはつまり、それぞれと向き合う時間が長くなるということ。ダンジョンと拠点の往復を繰り返す中にあって、ひたすら少女を世話し、少ない味方とともに目的を達成していくことで、キャラクターへの愛着がわきやすくなり、ひいてはそれがゲーム全体への愛着へとつながり――だからこそ、このゲームのラストは人の胸を打つのだ、と思う。
用意されたエンディングは二種類。しかしそのどちらもが、ハッピーとも、バッドとも言い難いエンディングではないだろうか。ラストバトル直前の分岐点、主人公となるロボットが、あえて感情出力機能に乏しいものであることで、ロボットの行動がそのままプレイヤーの選択、意思となって結末を迎える。もしこのロボットがあなたなら、どちらを選ぶだろう?
このロボットに、アイはあるのか――。
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