わたし:2016年1月
成田空港へ向かうリムジンバスの中。「この旅はわたしの人生の分岐点になる」そんな言葉が浮かんで、涙がこぼれた。まだ始まったばかりなのにびっくりした。 どうってことのないことばかり。でもとても大切な旅の記録。2016年1月のこと。
「この旅は、わたしの人生の分岐点になる」
急にこの言葉が頭に浮かんだ。降りてきた、という感覚。
成田空港に向かうリムジンバスの窓の向こう、よく晴れた空の下、横浜港やみなとみらいの景色が見える。不意に浮かんだこの言葉を、もう一度反芻したら、今度は涙がこぼれてきた。
1月11日。1が並ぶその日。
111が門や扉を開く様に見えると言っていたひとがいたっけ。
わたしは、オーロラを見るためにアラスカに向かった。
アメリカに住む「冒険家」夫妻は既にアラスカに到着している。彼らのプランに途中から合流するかたちだ。
物心着いた頃、小学生くらいだろうか。
まだ飛行機に乗るとか、外国に行くとかはごく少数の限られたひとしかできないことだと、大方の日本人が思っていた頃。
「死ぬまでに何がしたい?」「夢は何?」というたわいもない話になるとき、わたしはいつも困っていた。
「ない」というのはこどもらしくない。
面倒だから予め答えを用意しておこうと思った可愛げのないわたし。
「オーロラを見てみたいなあ。リオのカーニバルも見たいかなあ」
体よくやり過ごすために身に着けたフレーズ。
それでも何度か口にしていくと、いつの間にかなんとなく、これってわたしの夢なのかも、夢なんだ、と思うようになった。
だた当時から斜に構えていたわたしにとって、「夢」とは、叶う可能性が限りなく低い、叶えるというよりは「見る」もの、の前提ではあった。だから、機械的に答えるための内容として”選んだ”し、ものすごく心惹かれる何かのきっかけがあった訳でもなかった。
そして健やかに、しかしややこじらせ気味に年齢を重ね、わたしは40を過ぎてなお20年遅れの”自分探し・モラトリアム女子”。
女子と呼ぶと即、「婦人だろ?」と言い換える手厳しいセンパイをはねのけて、敢えての「女子」。
7年勤めた会社を退職し、お金が尽きるまでの間、思い切って好きなことをして過ごしてみることを選んだ。お金を使い切ってやる!と決めた。
好きなことをすると決めたものの、実は、オーロラのことはすぐにはリストに上がってこなかった。正直、頭から離れていた。こどもの頃、そんなことを考えていたことすら、忘れていた。
「オーロラってすごいんだよ、ホント。動くんだよ。地球とか関係ないとこでできてるんだよ」
落ち着いた印象の強いいづみちゃんが、顔を紅潮させて興奮気味に話すのを聞いたのは、夏の日の葉山だった。
興奮ぶりが可愛らしいのと、普段とのあまりのギャップが面白くなって、わたしもすっかり聞き入ってしまったのだ。
クールに見えるいづみちゃんをここまでにするオーロラ。わたしも見てみたい。・・・でもわたしには「いつか」だよなあと思っていた。
葉山の数日後、オーロラについての特集番組が放送されることをたまたま目にし、録画予約をした。いづみちゃんたちが「通っている」というアラスカはフェアバンクスを取材したものだというのも、まさにわたしにはヒットで、ゆっくり見ようと思ったのだ。録画はしたものの、なぜだかすぐに見る気にはならず、そのままにしていた。録画して1か月くらいした頃。
「オーロラを見に行きませんか~?」
いづみちゃんのFacebookの投稿が目に留まる。
ああ。オーロラ。オーロラを見たいなあ。
そう思った。
「いいね!」をポチっとした後、特集番組を録画していたことを思い出し、見てみることにした。ルー大柴はちょっとうるさかったけど、フェアバンクスという街はなんだかこじんまりしていそうで好感が持てた。オーロラを見ることができるあらゆる可能性が高い場所だということもよくわかった。実際に映像を見てしまったら、ちょっと涙が出てきた。これ、本物を自分の目で見てしまったら、わたしは号泣してしまうんじゃないか、と思ったのだ。
番組を見終わって、Facebookを開いて、いづみちゃんの投稿にコメントをした。
「みたいーーーーーーーー!」って。
すると、日本とアメリカという時差があるにも関わらず、タイミングよくすぐにいづみちゃんが返信コメントをくれた。
「行こうよーーー!」
行ってみよう、と決めた瞬間だった。
幸い、時間はいくらでもある。
オーロラを見に行くのは、半年先の1月で、就職先が決まるのかどうかもわからないけど、正月休み明けのすぐの時期だし、もしも仕事に就いていたとしても予め申し出ておけば大丈夫だろう。お金は・・・なんとかなるだろう。よし!
それまでの人生で、半年先の旅行手配なんてしたことがなかった。行き当たりばったり、ずぼら、無計画、な人生。
決めてからのわたしは、行動がとにかく早い。
我ながら、それまでのグダグダは何だったんだ?とツッコミたくなるほど。飛行機のチケットを確保するためにExpediaにアクセスする。乗り継ぎについて、時間を優先するのか費用を優先するのか、いくつか選択肢をあっという間に示してくれる。ふわふわした気持ちで、選ぶ。画面の中と、自分の右手のクリックで、手配が整っていく。本当に行くのかどうか、全く実感がわかない。「オーロラを見に行くんだよー」と親しい友人に話すも、なんだか夢の中にいるようだった。
そして仕事探しにも全く手を付けないまま、新しい年を迎えた。
それまでの間にも「分岐点」なんて言葉が浮かぶようなことは、全くヒントすらなかった。
わたしの他にもう1人、紳士も合流することが決まり、4人だということしか知らされなかった。その紳士についてわたしも特に詳しくは聞かなかった。
でも。
家を出てまだ数十分しか経っていない、成田空港に向かうバスの車中で、わたしは、まだ始まってもいないこの旅の終わりに思いを馳せ、涙したのだった。
初めての感覚に驚きつつも、改めて楽しみな気持ちも湧いてきた。
ふわふわと実感がないままだったのに、ようやく、実感がわいたのだった。
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写真はシアトルで乗り換えたアラスカ航空の機内から、シアトル上空の様子。