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アラスカの地が揺れた朝

成田空港へ向かうリムジンバスの中。「この旅はわたしの人生の分岐点になる」そんな言葉が浮かんで、涙がこぼれた。まだ始まったばかりなのにびっくりした。 どうってことのないことばかり。でもとても大切な旅の記録。2016年1月のこと。

アラスカの地が揺れた朝

朝のダイニングルームに一番乗りした日。

オーナーのパスカルさんにおはようを言って、コーヒーをカップに入れて着席したその時。
食器棚のガラスがガタガタと振動した。
大型トラックがすぐ近くを通過したときと同じ感じ。
18歳まで暮らしていた実家は交通量の多い県道のそばだったので、大きなトラックやダンプカーが通過する度に窓ガラスがざわざわすることは日常茶飯事だった。しかも、結婚生活をしていた時の住まいも、田舎の実家とはくらべものにならない交通量の国道のそばだったので、慣れとは恐ろしいものだが、その面において割と鈍感。まさに同じような感じだったので、最初は違和感を感じなかった。

でもさすがに、寝起きとは言えども脳内のわたしが突っ込みを入れる。

ここ、山の中だよね?車道からかなり離れているよね?

ここは道路から入った山の中。近くの道路までは、結構距離がある。

おお!そうだった!

コーヒーカップを両手でくるんで、ひとり脳内会議をしていると、わたしの様子が怪訝そうに見えたのだろう、オムレツの乗ったお皿をこちらに運びながら、パスカルさんが「地震ね」と首をすくめた。
「地震?」間抜けな声でオウム返ししてしまった。
「そう。この辺では時々あるの。」
さらっと彼女は続けた。
わたしが車の通過時の振動にすっかり慣れてしまっているのと同じもののように、すっかり慣れている感じだった。
「多分、震度3とか4とかくらいだわね。大きな地震がいつ起こってもおかしくない場所だから」

わたしが生まれ育った場所では、幼稚園に入って以降中学校卒業まで、学校行事のひとつとして、毎月1回避難訓練・防災訓練が行われていた。
東海地震がいつ起きてもおかしくない地盤だったからだ。
備えあれば憂いなし、という毎回の校長先生の言葉は、いつしか私の中でぼんやりと輪郭を無くしてしまっていた。
上京してからの方がよっぽど地震を経験するようになったのだから、自然とは気まぐれなものだとすら思っていた。
こどもの頃からの刷り込みのおかげで、わたしの感覚では、地震とは、日本の、しかもわたしが住んでいた地方で起こるもの、と勝手に変換されていた。
だから、外国で起きた地震のニュースを見たときには、地震って日本だけのものじゃないんだと驚いたこともあった。
さすがに年を重ねて、こどもの頃よりも分別もついたけれども、まさか、北の果てに近いアラスカで地震を体験するなんて、全くの不意打ちだった。

出されたオムレツを食べ始めた頃、1人、また1人と仲間が朝食のテーブルにつき始めた。
「さっき地震があったの、気付いた?」
それぞれに聞いてみた。
誰もが「え?そうなの?知らなかった」と、寝起きだからなのか、特段興味がないからなのか、流し気味に答えた。

冷静に考えてみれば、北だろうが南だろうが、暑かろうが寒かろうが、世界中いろんなところに火山がある。
マグマの活動、プレートの活動、ある一か所に集中しているものではない。しかも、ロッジの水道は温泉水だった。シャワーでいつまでたってもぬるぬるが流れないと嘆いていたら、「あ、ここね、温泉水だよ」と返されてビックリしたのはついこないだのこと。

わたしのちっちゃな勝手な思い込みのいろいろに、なんだか急に恥ずかしくなった。
わたしの知識は、見事に「点」だらけ。
ようやく、アラスカの地で、ほんの些細なことでしかないけど、ばらけていた点が、ぱたぱたぱたとつながった気がした。

温泉がある=火山=マグマ=地震、みたいなやつ。

地球の大きさと、自然の力と、わたしというめちゃめちゃちっぽけな存在。

朝からちょっと、「やれやれ」という気持ち。

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なかくきゆか
ちょっとおいしいおやつが食べたい。楽しい一杯が飲みたい。心が動く景色を見たい。誰かのお話を聞きたい。いつかあなたのお話も聞かせてください。