ブラックジャックの夜・3
成田空港へ向かうリムジンバスの中。「この旅はわたしの人生の分岐点になる」そんな言葉が浮かんで、涙がこぼれた。まだ始まったばかりなのにびっくりした。 どうってことのないことばかり。でもとても大切な旅の記録。2016年1月のこと。
ブラックジャックの夜・3
この夜、空から雲が晴れることはなかった。
わたしたちは、ブラックジャック教室で一夜を過ごしたのだった。
おじさまの手からヒラリと捲られる切り札となる一枚。
完全に親に操られている感覚。
ちょっと勝負に出てみて、ばっさり斬られてみたり、逆に思いがけないラッキーに預かったり。
いける!と思った直後、足元をすくわれたり。
この感覚、きっと人生そのものなのかもしれない、と思った。
負けることがあるって、わかっていて勝負に臨むこと。
結局最後は、インスピレーション・自分を信じること。
大体のことはもう、決まっているのだ。
誰にもどうしようもできないことに遭遇し続けることが、生きていくということ。人生。
過程の中で気まぐれにちょっと勝負に出てみて、わーきゃーしてみたり、“わたしが”予想しなかったことが起こったり。
普段のことは実は取るに足らないことだらけなんだろう、と合点がいった。
流れに抗わないことを選ぶ、生き方。
おじさまは、カードをまとめながらちょっと眠そうな声で言った。
「まあ、だいたい、親が勝つようにできてるんだよ。」
そうか。ゲームの親って、人生で言うところの神様みたいなものなのか。
テーブル上に広がったプラスチックのコインを片付けながら、思った。
おじさまは続けて言った。
「ま、ほんのちょっとの差、なんだけどな。」
そうは言っても、だ。
「人生ってだいたい決まっているのよ」
この言葉を再び聞いたのは、ご長寿の美術家・篠田桃紅さんと医師の日野原重明さんの対談番組だったか。
無駄な悪あがきはしないで、流れを見極めて、うまく乗りこなすこと。
生きていくのって実は、ものすごく静かでシンプルなものなのだ。
今までのわたしのドタバタ茶番人生。
流れを見ずに、無鉄砲に勝負に挑み続けてきた。
その結果、無駄な悪あがきの連続、傷だらけのローラ、といったところだ。
たかが、21にすることが目的のゲーム。
されど、21にするために、考えて、賭けに出て、嬉々としたり、叫んだり。忙しい。
ディーラーを神様、プレイヤーは人間、とするならば。
スマートに「21」を揃えてみたいのだけど・・・。