犬の存在意義と私
犬の形をした愛。
犬のことをこのように比喩表現で表しているのを何かで見た。
わたしは犬を4匹飼っている。
結婚を理由に飼ったわけではなく、独身時代から1人で4匹飼っている。
どの犬も個性的だ。
顎が出ていてしゃくれている15歳の犬
眉毛が凛々しく手足が短く愛想のいい犬
後ろ足が生まれつき不自由だが我が家のヒエラルキーのてっぺんにいる犬
わんぱくで毎日毎日懲りずに怒られているがなんだか憎めない犬
私は特に、最後に書いた犬にとにかく手を焼いている。
少し外出しようもんなら、ペットシーツを破りまくり、他の犬のご飯を平気で奪い、奪い合いのためなら流血までさせている。
15歳の老犬相手に。
話は少し逸れるが、この子達はみんなペットショップで迎えた子ではない。
みんないろんな事情があって、飼い主から離れた所謂保護犬や、繁殖引退犬だ。
これを言うことによって、わたしは称賛されようとしているわけではない。
ただ、いろんな事情があり、わたしにもいろんな考えがあり、たまたま出会いたまたまうちに来た。それ以上でもそれ以下でもない。
そもそも何故わたしがこんなに犬を迎えたのかをふと考えた。
幼少期に遡る
わたしは幼少期、これでもかというくらい甘やかされ育った。
欲しいと言ったものは全て2〜3日もすれば手に入っていた。
トイザらスに行けば、新作のシルバニアファミリーを買ってもらい、家電量販店に行けば新作のポケモンソフトを買ってもらった。
周りの子が携帯がない中、最新のガラケーを買ってもらい、周りが持っていなかったこともあり、その当時の連絡先には父親と母親と実家の番号だけを登録していた。
そんな子供だった。
でも、とあるクリスマスに
「犬が欲しい」とねだったら与えられたのが当時はやっていた犬型のaiboだった。
ひどく大泣きをした。今でもクリスマスツリーの前で大泣きしたのを鮮明に覚えている。
そんなわたしを見かねて父親が諭すように言った
「うちは、ママが犬嫌いだから飼えないよ。
ゆかも喘息持ちだからね。
大人になったらきっと飼えるようになるよ」
その日から早く大人になりたいと一日2回も3回も寝るようになった。
しかし、子供というのは飽きるのが早い。
そのうち寝ることに飽きるようになり、犬を飼いたいという気持ちも薄れた。
そんな気持ちも忘れ、一人暮らしをし、そして同棲をしてた。
ふとテレビ番組をみて、動物バラエティを観ていた。
その番組は、犬を飼った飼い主が躾を完璧にマスターするという内容だった。
ふーん、犬って大変そうだなぁ。
そんなことを思っていたら、隣にいた男が
「犬飼いたいなぁ」とぼそっと呟いていた。
その一言で私は幼少期の記憶が一気に蘇り、
彼が呟いた消えるような声とは正反対の馬鹿でかい声で
「飼いたい!!!!!!」
と言っていた。彼も驚いていた。
次の日からは犬探し。
部屋探しのような言い方になり、不快に思うかもしれないが、犬探しに明け暮れた。
当時私たちはお金がなかった。
ペットショップでの購入は厳しい
では保護犬ではどうだろうか。
そんな安易な気持ちだった。
里親サイトを通じて、何百件も問い合わせたが、返ってくる返事はどこも同じく
カップルには譲渡できません。
今思えばそれはそうだ。
ところが問い合わせたうちに、一件だけ個人の方が飼っているところから、嬉しい返事が返ってきた。
早速日程を合わせ待ち合わせ場所に買ったばかりのキャリーをもって向かった。
正直道中ではドキドキだった
飼えるのだろうか。幸せにできるのだろうか。
待ち合わせ場所に行くと夫婦がいた。
なんとも色々な事情があり飼えなくなったらしい。ジャックラッセルテリアのアディという名前だった。
夫婦が家の近所まで送ってくれた。
自宅が近くなるとゲージに入っていたアディがソワソワしだし、クンクンと哀しく泣き出した。
わたしは少し動揺した。
「何かを察してるんやね」
そう女性が悲しそうに呟いていた。
私も悲しい気持ちになった。
自宅前でおろしてもらい、その夫婦とアディの別れはあっけらかんとしたものだった。
きっとあの夫婦の優しさだったんだろう。
自宅に連れてきたものの、犬を飼ったことがないので、とりあえず新品のゲージにアディを入れ様子を見た。
ひどく動揺してクンクンと鳴いていた。
とんでもないことをしてしまったかもしれない。と、自分の行動を悔いた。
夜になり、出かける用事があり、そのままにして出かけ、帰宅したら部屋が大変なことになっていた。
ゲージからは犬が飛び出し、ペットシーツはビリビリに破かれ、棚に歯形があり、ベットには黄色いシミがあちらこちらにあった。
思わず怒鳴ったところ、部屋の隅に行きプルプルと震えていた。
ああ、私は犬を飼うの向いてないな。
そんなことを思った。
それから幾度と経ち、アディも環境に慣れてきたのだろう、懐くようになり、私が悲しい時でも嬉しい時でも、どんな時でも後ろを付くようになった。
時には道を塞がれ邪魔だと思ったが、それもまた愛おしく思った。
13歳で亡くなったが、毎日が愛に満ちた日々だった。
今はどうだろう。
きっと気がついていないだけで、愛だらけなんだろう。手が焼けて仕方ない日々も、なくなるとすると愛おしく恋しくなるのだろう。
と同時に、深い責任感を感じる。
可愛いだけの気持ちで飼っていない。
だからこの子達を幸せにするまでわたしは死ねない。
愛というよりミッションに近いものだ。
今夜はなんだか飲みすぎて眠れない。
そんな夜は足元で寝ている愛の塊に少しだけちょっかいをかける。
眠いのかすこし鬱陶しそうな顔をしてまた横になっていたのを見て、なんて自己中なんだろうと思う。それもまた愛おしく、そして憎たらしい。
どうか幸せに。
愛に満ちてる生活も楽ではない。