言葉の呪い
他人から投げかけられた言葉は時に呪いと化す。
そう気が付き始めたのは、幼稚園の時に好きだった男の子から言われた一言がきっかけだ。
「ゆかちゃんのママは外人なのに、ゆかちゃんはママに似てないのはなんで?
なんでゆかちゃんは日本人なの?」
素朴な疑問から投げかけた言葉だろう。
子供とは純粋だ。
その日からわたしは両親に、何故わたしは母親と似ていないのか。ということを聞くようになった。
母親は似てるよ。と私を諭した。2人で鏡に並んだ。全く似ていなかった。
幼稚園にAちゃんという同じ境遇の子がいた。
Aちゃんは母親に似ていた。
東南アジア顔の特徴である
黒目がちな大きな目で、チャーミングな顔立ち、おまけに顔も小さく、幼稚園内ではもてはやされていた。
しかし私はというと、少し腫れぼったい目に、大きな顔、低い鼻、いわゆる日本人顔だった。
少し過ぎて、好きだった男の子にバレンタインを渡した。
その時に言われた事を昨日のことのように覚えている。
「ゆかちゃんはゆかちゃんのママと似てないから好きじゃないんだ。
僕はAちゃんみたいなお顔の女の子が好き」
ズキズキと胸が痛くなった。とても悲しかった。でも、何故こんなに悲しい気持ちになるのかもわからなかった。
その日あった事を話すのが我が家の日課だったが、その事を話した。
パパに似ているから、好きになってくれない。ママに似たかった。そう家に帰って両親に話した。
母親は、貴方は可愛いよ。と言ってくれたが、父親は複雑な顔で私を見つめていた。
時は過ぎて、小学生なり、小学校4年生の時にクラスの男子にある日こんな事を言われた。
なんで日本人の顔してんのに、髪の毛は明るくて、ピアス開いてるの?染めてるの?不良じゃん。
そう言って彼は休み時間のチャイムと共に校庭に行きドッチボールをしていた。
物心がついた頃から、耳たぶにはピアスが開いていた。フィリピンでは生まれた子供にピアスを開けるのが文化らしい。
なので、何故開いてるかなんて説明ができなかった。
自分の容姿がハーフ顔ならそんな事を言われていなかったのかな。そう思うと辛くてたまらなかった。私だって好きでこんな顔に生まれたわけではない。
気がついたら泣いていた。
周りの女の子が、大袈裟に大丈夫ー??と駆け寄って来た。
うんともすんとも、言えずその場で泣き続けた。
今思えばきっと自分自身の見た目を否定された気持ちになったのだろう。
その日から鏡を見るのが嫌になった。
と同時に母親と外を歩くのが嫌になった。
小学校高学年にもなると、世間ではハーフの子が可愛いとさらに認識が広まった。
テレビに出ている芸能人は皆、日本人離れした小さな顔に大きな目、とても可愛い人形のようだった。
テレビを観て、ふと自分の顔を見ると悲しい気持ちになった。
どこからどう観ても母親とは似ても似つかず、日本人丸出しの顔だった。
どう足掻いても自分には手に入らないものばかりに目が向いた。
中学になり私は女子だけの中高一貫の学校に進学した。
中学2年生の時にアメリカに留学をした。
外の世界を見て愕然とした。
みんな自信に満ち溢れ、そして何より容姿が可愛かった。
自分の見た目を肯定したかった。
見たことのない世界を見れば変われると思った。
しかし、現実はそんなこともなく、さまざまな人種に関われば関わるほど自分の容姿がさらに醜く、肯定できるものではないと分からされた。
どこに行っても私の存在は否定されるものだと多感な時期に思い知らされた。
悶々と思春期を過ごし、大人になり、心から好きだと思った人と出会いその人の彼女になった。
2〜3年もすれば、関係性は希薄なものとなり、彼も若さ故に別の女性と遊ぶようになった。
ひょんなことから彼が浮気をしてる事を知り、ひょんなことから相手を知った。
ひょんなことと言っても、ありきたりなネットストーカーだ。
相手の顔を見て、自分の行動を悔いた。
私にはないものばかりの女の子だった。
浮気を問い詰め、言われた一言が、
魔が刺した。
その一言で片付けられた。
魔が刺せば、男は自分にはないものばかりの女性と平気で遊び、抱くのだと思い、あの時に言われた好きも、お前が一番だも、なんなんだろうと思った。
その日を皮切りに、今まで付き合って来た人の彼女や遊んでる女の子や、今までして来たことが気になった。今でもそうだ。
昔〇〇に行ったと言われれば、何故この人はその人と行ったのに私とは言ってくれないのだろうと思ってしまいその度に自分の容姿のせいなのだと思う。
聞くたびに不快になり、その行った土地を聞くたびムカついてくる。
お前の過去など私は聞きたくないのだ。聞けば聞くほど劣等感で恥ずかしくなる。
それでも察しずにべらべらしゃべるバカ男が時には居るがその度に口を縫い頭をかち割りたくなる。
全ては卑屈な性格のせいだと分かっていながら。
自分を愛するのは一番難しい。
面接やふとした時に聞かれる、自分の好きなところや、自己PRという言葉は世界一嫌いだ。
せいぜい言えるのは、愛想笑いが得意なこと。
それで終了。
私は卑屈な人間だ。
可愛いと言われれば、そんなことは思ってないくせに。と思ってしまう。
実際私を可愛いなんて思ってる人間は変なやつだと思う。
私を好きだという人を正直変なやつだと思っている。
こんな変なやつを好きなのだから相手も間違えなく異常だ。
かと言って自分を変えることもなく、今も尚自分に甘んじて、生きている。
正直なところ、何をどう変えていけばいいかもう分からないのだ。
今でも言葉の呪いに取り憑かれている。
きっと呪縛は解けることはない。
除霊どころの騒ぎではない。
私は次生まれ変わるなら犬になりたい。
犬は歩いてるだけで可愛いと言われる。
私も歩いてるだけで可愛いと言われたら、きっと可愛いという言葉の呪いを信じて、毎日街中を歩いてるのだろう。
今後の人生において、関わらない人たちにかけられた言葉の呪いと共今日も生きている。