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そう書けばよかったのかという後悔はやがて……

私はインターネットで文章指導をしている。下は小学1年生から、上はアラカン世代まで。学年や年齢なんて、ほぼ関係なく、その人にあった指導をしている。

文章が苦手な人には、年齢にかかわらず共通点も多い。「どう書いたら正解なのか分からない」というのもその1つ。実は正解なんかない。①自分の思いに一番近い言葉をチョイスして、②相手の聞きたい順に書く。それだけ。強いて言えば、①と②がうまくできたときに、それはその人にとって正解となる。つまり、答えは自分の中にあるのだ。だけど、この世のどこかに正解の文章がある気がするので、それを血眼で探している人が、私のような人のところに習いに来るというわけだ。

例えば私がお習字の先生なら、字を上手に書くコツを伝授すればいいけれど、文章を上手に書くコツというのは、その人が秘める思いや、その人の経験、人生、伝えたい対象によって、変わる。だから、私が指導できるのは、受講生の頭の中にある思いを「この言葉がぴったり?それとももっと感じが違う?」というように聞くことで、なんとか言語化する手伝いだけ。そして、そうして出てきた言葉の並べ方についても「こうしたらもっといいかも」と提案することだけだ。

私の講座では、文章の書き直しの作業が入る。最初の原稿で、私が

ここはこんな言葉もつかえますね。どうですか?
この語順だと伝わりにくいので、こうしたらどうでしょう?
この文章は混乱するので、分けて考えましょうか?

そんなアドバイスをしたとする。

生徒さんの理想は「最初からそれがわかること」である。もちろん、わかっている人は、文章講座を受講する必要はない(笑)
「最初からそれがわかる」それは遠い夢のような気になる。

ほとんどの生徒さんは、最初「そう書けばよかったのか」と気づく。

そう書けばよかったのか

でもこの「そう書けばよかったのか」という学びは、けして無駄にはならない。もちろん、一度や二度では身につかないことだけど、繰り返すことで、「そう書けばよかったのか」というある種の後悔が「こう書けばいいのか も」の気づきに代わり「こう書けばもっと良くなるぜ」的な発展を遂げる。
その時、私の役目はおしまい。

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