ある意味「無敵の人」
他の人はどうか分からないけど、私は、最後には、悟りの境地にたどり着きたいと思っている。
もう、欲しいものもない。
もう、自分のことはいい。
そんな境地。
ジブン株式会社の定款にもこう書いた。
定款
目的や目標、日常の行動指針
「論語」の最後の一行。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。
心のままに行動しても、人を傷つけたり、人に迷惑をかけたりすることがない。これが私の究極の目標です。
似ているようで、かなり違う人種もいる。
ネットスラングの「無敵の人」だ。
無敵の人
失うものが何もないから、罪を犯すことに心理的抵抗のない人間
生活もどん尻、友だちもいない。家族とも疎遠。
だから、犯罪をはたらいた結果、刑罰を受けることに抵抗がない。
ひろゆきさんの言葉だけど、彼は面白おかしく表現したのではない。
むしろ、その人たちを無敵にしたのは、他ならない私たち、私たちの社会であり、無敵の人が犯す犯罪に無実の人が巻き込まれるのは、いわゆるしっぺ返しだと。してきたこと、無視してきたこと、そういう人たちに関わらないしてきた私たちへのお返しだと。
私の究極の目的である
もう、欲しいものもない。
もう、自分のことはいい。
とは、何が違うのか。
私はやっぱり関わる人の存在かと思う。
生活のどん尻も、きっと友達がいたら「失うものはなにもない」っていう状態とは違ってくると思う。他の苦しさも、関わってくれる人がいれば、なんとかなる気がする。
だけど、社会的な弱者は、それすらも得られない状況になっている。
そしてきっとそれは、私たちのせいなのだろう。
ひろゆきさんの言う通りだ。
じゃあどうしたらいいか、今、私には分からない。
せめて、周囲の人を助けるくらいか。
見て見ぬふりをしないようにするくらいか。
私はこの問いを考え続けていきたい。
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