勉強机は散らかっていてもいい
例えば何かの作業をするとき、作業台の上は、なるべく散らかっていない方がいいよね。ミスの元になるし、間違えば怪我をする時もある。
でも勉強机はどうだろう。私は勉強をする時には、色々な興味が流れとして繋がるものだから、散らかるのは仕方がないと思う。
あ、漢字を書くだけとか、計算を解くだけとか、そういうのは勉強とは言わない。むしろ作業。その場合は、作業台の上がなるべく散らかってない方が効率がいいよね。
でも勉強は別。
例えば、社会の産業を調べていて、それが農産物のことだと理科にもつながるし、珍しい名前だと国語辞典、外来語だと英語の辞書を開いたりする時もある。学校では学問を無理やりカテゴリに分けるけれど、勉強っていうものは本来そういうものじゃない。もちろん深くとことん調べる時はあるけれども、大抵は「ではこの場合はどうなんだろう」とか「じゃあ、あの場合はどうなんだろう」というように、どんどん広がっていくものだ。それが興味であり、追究する行為は勉強だ。だから、勉強机は散らかってもいいと私は思っている。
ただそれが許せない親がいるってこと
共用部分に勉強机がある場合、そりゃあ散らかってると目につくだろうけど、自分の部屋にある机の場合は、多少散らかっててもいいと思う。勉強に関係ないものもあると言い張る保護者がいるかもしれない。だったら、勉強に関係ないものは、リビングに持ってきてしまえばいい。
片付けをする能力と、学力は、何の関係もない。実際、一般的に頭が良いとされている大学教授の部屋を見れば、片付いた部屋もあるが、むしろ本だらけの部屋の方が多い気がする。
そう、この2項目には、負の関係も、正の関係もない。ただ、作業には関係があるってこと。そして、作業を早く進められるような環境作りは、本人が工夫してするもので、親が指示することじゃないよね。勉強ならなおさら。
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