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ミシンを踏む凶暴な母

母は何も言わず、黙ってミシンを踏んだ

この様子から分かる母の人となりを書きなさい。以前、こんな中学入試問題が出た。言い合いをやめた母。黙ってミシンを踏んだのだ。

そこで「凶暴」と答えた生徒がいたのだそう。

足元にある板を踏んで、その右側にある滑車を回し、そこと繋がっている上の滑車が回り、針の上下運動を起こし、布を縫う機械、マシーンが「ミシン」

確かに足で「弾み車」を回すミシンは、もう見かけない。足踏みミシンがあった時代の人たちにとって、「母は何も言わず、黙ってミシンを踏んだ」とあれば、これだけで、なんとなく、言いたいことを我慢しながら黙々と作業をする様子が目に浮かんできます。自分の言葉を押し殺す、心を閉じる、そんな様子も浮かびますね。けして「凶暴な母親像」は浮かびません。でも、浮かんでしまうのは、その子がミシンは踏んで使うものだという大前提を知らないからです。

そんなことを言ったら「蛇口をひねる」も「洗濯機を回す」も「凶暴な母親がすること」と捉える時代が来るのでしょうか(笑)確かに何もかも自動化されると、こういうものは全て「押す」という言葉になってしまうのかもしれませんね。

残っている言葉もあります。
「チャンネルを回す」「ビデオを巻き戻す」など。チャンネルはもう回さないし、ビデオも巻かないよね。言葉だけが残っている。
こういう言い回しは、新しい言葉にわざわざ変えなくてもいい。「ミシン」は「踏む」のままでいい。そして例えば子どもが「ねえ、なんで、動画見ている時、お母さんは『巻き戻す』っていうの?」と聞いてきたら、異文化交流の始まりと思えば、楽しいと思う。

新語が生まれる瞬間に立ち会う

名残惜しく残っている言葉の説明をするより、若者、子どもの世界にも独特の新しい言葉があり、それを吸収する必要もあるように感じる。
息子や、中高生の生徒と話をしていると、知っている日本語なのに、聞きなれない用途で使うことがある。


羽ばたいている
つらみ

そういう時は素直に「それはどういう時に使うの?」と聞くようにしている。すると、え?知らないの?という感じはしつつも、すごく面倒くさそうだが、丁寧に教えてくる。で、知れば、新しい言語の語源?を知った喜びが生まれる。言葉ってこうして生まれるのだ!と。私などは専門が国語なので、とくに、「やばみ」「くたくたみ」「ママみ」など、こんな言葉にも「み」を付けるのか!と、そのセンスに感動する。

で、私も使ってみようと思うんだけど、私の年代だと、使う機会がないのが悲しいところ。
でも息子曰く「知っておくのは勝手だけどさ、50過ぎて使うとイタイよ」
この「イタイ」もそろそろ辞書に載っても良いレベルだが、年配者には通じないどころか、体の心配されるので気を付けたい。

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