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指示が細かすぎると、頭を使わなくなる

あるイベントのお手伝いを頼まれた時に「ゆかさんは、多分、こういうことに慣れているだろうから、臨機応変にやってくれれば、それでいい」と、大体のタイムテーブルと、それから目的をざっくり知らされて、それだけでお手伝いをしたことがある。
結局、イベントというのは、何か目的があって、それが達成されること、そして時間的な制限がある時に、その中で納めることがまず大事で、あとは「臨機応変に」ということにしておかないと、かえって動けなくなる。

そちらの方の経験もある。私は、ある程度スキルや経験のある人たちが集まり、かなり大きなイベントをすることがある。毎年開催されているイベントだ。その年の担当者は、十数ページにもわたるタイムスケジュールを実行委員会の時に配った。私たちはあまりのキツキツな指示に絶句した。

誰と誰が同じグループで、どのエリアに配置されてるかという情報さえわかれば、突然の欠席者がいた場合でも、そのグループ内で何とかできる。というか、何とかできるような人たちばかりだったのに、十数ページにもわたる資料には図面も載せてあり、何時から何時までは誰それはここ、何時から何時まではあなたはここというように、全員分の行動計画が、細かく、図や表で表されていた。結局、自分のところだけ覚えれば済むんだけれど、そうじゃないよね。

事実、当日になって、急用で来られなくなったスタッフもいたし、現場の状況で、その位置ではよくないということが当日に分かったというようなこともある。そのイベントは、対象者が親子連れだったため、様々なハプニングが起きて、それに対応していると、持ち時間に持ち場にいられないというようなことも起きた。
結局、私たちの班は、せっかく作ってくれたプランに申し訳ないが、臨機応変に、空いてるところは手の空いてる人が埋めるということで、直前に意思決定をした。もちろん「せっかくこんなにきちんと作ってくれたのに」と反対する人もいたが、十数ページにもわたる計画表を、冬の野外のイベントで逐一見ている時間など、実際にはなかった。

大人はまだいい。それぞれに判断できるから。でも、子どもはどうだろう。私たち大人が、良かれと思って、細かすぎる指示を出していないだろうか。

そういえば、私たちも、そのように育った気がする。例えば修学旅行。学校が決めた、分刻みのスケジュールがあったから、私たちは自主的に行動するというより、そのスケジュールを遵守するということに一生懸命になっていた気がする。憶えちゃいられないという子は、しおりを持ち歩かなかったりするので、班長に叱られたりね。
修学旅行では、唯一、自由行動という時間が、楽しみだった。集合場所と集合時間だけが決まっていて、班ごとに自由行動がとれる。その時にやっと私たちは、下調べの大切さを意識した。何分間でこのエリアを回るために、どんなことをするか、初めて頭を使ったような気がする。

夏休み。分刻みのスケジュールを子どもたちに押し付けていない?
親が立てたスケジュールを遵守することに一生懸命な子は、本当のタイムマネジメントができなくなるかもしれません。

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